- ロス・ロンリー・ボーイズ(Los Lonely Boys)
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ロス・ロンリー・ボーイズ(Los Lonely Boys)はアメリカ合衆国テキサス州出身のロック・バンド。テハーノ(メキシコ系)であるガルサ家の3兄弟により結成された。
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メンバーヘンリー・ガルサ(Henry Garza) - ギター、ヴォーカル、ハーモニカ
ジョジョ・ガルサ(Jojo Garza) - ベース、ヴォーカル、ピアノ
リンゴ・ガルサ(Ringo Garza) - ドラム、ヴォーカル
※ヘンリーが長男、ジョジョが次男、リンゴが末っ子。
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- ザ・クークス (The Kooks)
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ザ・クークス (The Kooks) は、イギリス・ブライトンの音楽系カレッジで出会って結成されたロックバンドである。
バンド名はデヴィッド・ボウイの4thアルバム『ハンキー・ドリー』収録の曲「クークス」に由来している。
英国政府が新設したミュージシャンを養成する音楽系カレッジで学んだルークら4人で結成。2005年、シングル「エディーズ・ガン」でデビュー。NME誌を中心に賞賛をもって迎えられ、矢継ぎばやに2枚のシングルをリリース。好成績を収めたことから早くも頭角を現す。同期にアークティック・モンキーズがいたために日本ではやや影が薄いが、本国ではアークティック・モンキーズと並ぶ新人バンドとして注目された。 ストレートなギター・ロックを鳴らすが、そのサウンドは初期のブラーやスーパーグラスといったブリットポップからの影響を指摘される。2006年に1stアルバム『INSIDE IN / INSIDE OUT』を発表した。同年のサマーソニックに出演している。
2008年、何度かバンド活動から離れては戻っていたベーシストのマックスの脱退が発表された。彼の脱退に関して「バンドの解散も考えた」とルークは語っている。
出典:Wikipedia
メンバールーク・プリチャード(Luke Pritchard 1985年3月2日 - )ボーカル
ザ・クークスのソングライティングの中心人物。癖のあるハスキーな歌声が特徴。ロンドンで育った。父親のボブ・プリチャードもローリング・ストーンズなどのツアーに帯同するミュージシャンであったが、ルークが3歳の時に亡くなっている。またロンドンのクロイドンにある芸術学校(The BRIT School for Performing Arts)に在籍中、同級生だった歌手のケイティ・メルアと恋愛関係にあったことが有名だが、2005年に別れている。ミーシャ・バートンとも一時交際していたが破局。
ヒュー・ハリス (Hugh Harris 1987年7月19日 - )ギター
メンバー最年少だが、その若さとは裏腹な確かなテクニックはザ・クークスのサウンドを支える貫禄がある。
ピーター・デントン - ベース
ポール・ジェイムス・ガレット(Paul James Garred 1985年5月23日 - )ドラム
ボーカルのルーク・プリチャード元メンバーマックス・ラファティ(Max Rafferty 1983年8月7日 - ) ベース
ルークの親友で共にザ・クークスのソングライティングの中心人物だったが、バンドの急激な成功で精神的にダウンしてしまい2008年に脱退。
ダン・ローガン - ベース
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- ジャスティス(Justice)
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ジャスティス(Justice)は、フランスのエレクトロニック・ミュージック・デュオ。
ダフト・パンクの元マネージャーであるペドロ・ウインター(通称Busy P)が代表を務めるエド・バンカー・レコーズの中で、もっとも成功しているグループである[1]。2007年リリースのデビューアルバム『†』(クロス)は、グラミー賞の「ベスト・エレクトロニック/ダンス・アルバム」部門にノミネートされるなど世界的な評価・成功を収めた。
ヒット・シングル「D.A.N.C.E.(ディー・エー・エヌ・シー・イー)」は、マイケル・ジャクソンへのトリビュート曲であり、ロンドンの少年聖歌隊の歌声をフューチュアしている。また、2008年秋冬には、DoCoMo携帯・NECN-01A型のCMにシングル「DVNO(ディー・ブイ・エヌ・オー)」がタイアップ曲として使用されている。
他方で、フランツ・フェルディナンド、ファットボーイ・スリム、ブリトニー・スピアーズ、N.E.R.D.、ミステリー・ジェッツなどリミックスを手掛ける気鋭リミキサーとしても活躍。
2007年、フジ・ロック・フェスティバルに出演[2]。2008年、サマーソニックに出演。
音楽性圧縮して歪曲されたシンセサイザー音をベースに、時折スラッピングを用いてカット・アップされた低音域を組み合わせたダイナミックなハウス・ミュージックが特徴。
ビッグ・ビート的な方法論とは別の形でのロックとダンスの融合アプローチとして注目されており、ジャンキーXLは、ジャスティスらの作るエレクトロ・ミュージックの流行を「オルタナティヴな潮流」と評している。
出典:Wikipedia
ギャスパール・オジェ(Gaspard Auge, 1979年5月21日 - )とグザヴィエ・ドゥ・ロズネ(Xavier de Rosnay, 1982年7月2日 - )からなる2人組。
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- ジェームス・イハ(JAMES IHA)
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ジェームス・イハ(James Yoshinobu “Jonas” Iha、日本名:井葉 吉伸(いは よしのぶ)、1968年3月26日 - )は、アメリカ・シカゴ出身のミュージシャン、音楽プロデューサー、ファッションデザイナー。スマッシング・パンプキンズのギタリストであったことで知られる。
日系人の両親を持つ日系3世であるが、日本語はほとんど話せない。
略歴
1988年7月9日 - スマッシング・パンプキンズの一員として、初のライブを行う。以降、ギタリストとして活躍。
1998年 - ソロアルバム、『Let It Come Down』をリリース。
2000年 - スマッシング・パンプキンズ解散。
2001年 - ファッションブランド、『VAPOR(ヴェイパー)』を立ち上げ。生産はBEAMSがバックアップ。同年、CHARAに楽曲『スカート』『ボクにうつして』を提供し、プロデュースも担当。PVにも出演した。
2003年 - 春、ブランド名VAPORを『VAPORIZE』に変更。
2003年7月 - メイナード・ジェームス・キーナンによるサイドプロジェクト、ア・パーフェクト・サークルにギタリストとして加入。
2004年6月 - ア・パーフェクト・サークルが活動停止。
2005年 - 邦画「リンダリンダリンダ」の音楽を担当。その後、同映画に出演した湯川潮音の楽曲をプロデュース。
2006年 - スマッシング・パンプキンズの活動再開が正式に発表されるが、ジェームスは不参加。
2008年 - ア・パーフェクト・サークルの活動再開が伝えられる。現時点でジェームス・イハが参加しているかは不明。
2009年2月 - 新バンドティンテッド・ウィンドウズの結成を発表。自身がギターを担当し、ハンソンのTaylor Hansonをボーカルに、ファウンテンズ・オブ・ウェインのAdam Schlesingerをベーシストに、チープトリックのBun E. Carlos をドラマーにそれぞれ迎える。
2009年4月 - ティンテッド・ウィンドウズがセルフタイトルのデビューアルバムを発表。
2010年4月 - オフィシャルサイトがリニューアル・オープン。2枚目のソロ・アルバムを制作中であることが伝えられる。
2010年8月 - ア・パーフェクト・サークルのメンバー・ギタリストとして正式に復帰が明かされた。
2011年12月 - 2012年のEMI ROCKS音楽フェスティバルで初の海外アーティストとしてブッキングされた。
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- ジェイムス・ブレイク (James Blake)
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ジェイムス・ブレイク (James Blake) とは、イギリス, ロンドン, インフィールド・ロンドン特別区出身のミュージシャンである。経歴
1988年10月、ロンドンにて生まれる。
2011年2月4日、自身の名を冠したデビュールバム『James Blake』をリリース。
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- ジャック・ホワイト(Jack White)
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ジャック・ホワイト(Jack White, 出生名John Anthony Gillis, 1975年7月9日 - )は、アメリカ合衆国のギタリスト、ボーカリスト、音楽プロデューサー。概説
1975年7月9日、アメリカ生まれ。ジャックの持つ類稀な音楽的価値観と才能から、音楽界では不思議な存在とされており、アメリカのルネッサンス的な人物との評されている。
1997年、姉のメグとザ・ホワイト・ストライプスを結成。初期のデルタブルースを愛し、音楽に対してミニマリズムなアプローチをとり、アメリカ全土で一躍話題となる。
2005年、2つ目のバンドとなるザ・ラカンターズをブレンダン・ベンソン、ジャック・ローレンス、パトリック・キーラーと共に結成。 “旧友たちによる新しいバンド”であるザ・ラカンターズの最初のシングル、「Steady as she goes」はたちまち大ヒット。デビューアルバム「Broken Boy Soldiers」は、ビルボードのアルバムチャートに初登場7位で入り、グラミー賞2部門でノミネートされた。2006年の世界ツアーでは、ボブ・ディランと同じスケジュールでアメリカを回り、ディランとはお互いにコンサートで数回ゲストパフォーマンスを行なっている。ザ・ラカンターズの2年目のアルバム、「Consolers Of The Lonely」(2008)も初登場7位を記録し、グラミー賞を受賞した。
2011年、ザ・ホワイト・ストライプス解散。現在は2009年に新たにザ・デッド・ウェザーを結成し、活躍の場を更に広げている。映画にも出演しており、2003年にアカデミー賞を受賞した『コールドマウンテン』で、アンソニー・ミンゲラ監督は音楽監督T・ボーン・バーネットのアドバイスに従い、ジャックをジョージア役に抜擢。作品の中ではアパラチアの歌を数曲演奏している。 同年、ザ・ホワイト・ストライプスのメンバー2人が、ジム・ジャーミッシュ監督の『コーヒー&シガレッツ』に出演。ジャックとメグは、「Jack Shows Meg His Testla Coil」と名付けられたエピソードで本人の役で出演した。その後、シンプソンズのエピソード“Jazzy And The Pussycats”(06/未)で再びスクリーンに姿を現し、ジャド・アパトー製作のコメディ『ウォーク・ハード ロックへの階段』(07/未)にエルビス・プレスリー役で特別出演。2008年には、マーティン・スコセッシ監督のドキュメンタリー『シャイン・ア・ライト』に、ローリング・ストーンズとのニューヨークでの演奏が収められた。
It Might Get Loudで共演したレッド・ツェッペリンのジミー・ペイジは、『NME』誌のインタビューにおいてジャックに対し「最近のギタリストの中ではNo.1の存在」といった賛辞を送っている。
人物ブルース・カントリー・70年代以前のロックンロールを愛好し、それらへの造詣は非常に深い。徹底的なアナログへの拘りを持っており、ライブやレコーディングで使用する楽器・機材はほぼすべてアナログ製品を使用している。ジャックと同世代のミュージシャンと比べると、異例とも言えるほどフィジカルな音楽を志向しており、特にセールスや派手さを重視しすぎて全く現実感のないような、過剰なマスタリングが施された現代的ポピュラーミュージックを嫌う(「普通にアンプにギターを繋いで、普通にギターを演奏して、普通に歌を歌ったら、あんなおぞましいキラキラとした音は出ない」と『Bigread』誌において語っている)。ちなみに、ジャックは一貫して、音楽をデータでもなくCDでもなくレコードで聴くことをファンに勧めている(ポピュラー音楽は、ディスクジャケットやブックレットなども含めた総合アートである、というジャックの理念から来るもの。ジャックが関わったほぼすべての音源は、アナログレコード盤でも発売されている)。
ジョーク好きな人柄ながら、しばしば奇人・変人ともメディアに書き立てられる。特に、2005年からのツアーでは、"Three Quid"(3個の1ドルポンド)と改名し、話題を振りまいたが、ツアー終了時にすぐ元の名前に戻し、イギリスのラジオでそれら理由を尋ねられた際、ジャックは「それはすべてお金に関することだよ」と答えた。
ジャックがリスペクトしているアーティストとして、ボブ・ディラン(デトロイトでの公演にジャックが出演したことがあり、メグも非常に熱心なファンである)やロバート・ジョンソン、ブルース歌手のサン・ハウスが挙げられることが多い。また、ジャックは最近、同じデトロイト出身のアリス・クーパーに影響を受けた扮装をしている。彼は、地元デトロイトのミュージシャンが音楽的土壌を作ってくれたのを感謝しており、特にイギー・ポップのファンで、ストゥージズのアルバム『ファンハウス』を「今までに作られた最高のロック・アルバム」と言っている。特に、サン・ハウスを敬愛しており、ジャックのボーカルスタイルは彼の影響によるところが大きい。
妻はイギリスのスーパーモデル、カレン・エルソン。2006年に娘、2007年に息子を授かった。
プレイスタイルブルース・カントリーなどの近代的音楽からの影響が色濃いながらも、絶妙な現代性を散りばめたギタープレイを展開する。それらは多くがジャックの生み出した独創的なリフを主体として演奏されるため、1970年代のブルース色を多大に残していた頃のハード・ロック(レッド・ツェッペリン、ディープ・パープル、ブラック・サバス、フリー)とよく比較され、ジャック自身もそれらからの影響を公言している。使用するギターやエフェクター類は、オーソドックスでシンプルかつチープなものばかりだが、突然ファズで強烈な歪みを加えたり、ハウリングやペグを弛緩させたベンド奏法によるノイジーなプレイを始めたりなど、そのセンスは他のギタリストとは一線を画す。
ヴォーカルでは高音を多用し、歌うというよりも「叫ぶ」もしくはブルース的に「語る」ような趣の楽曲が多い。また、ギターだけにとどまらず、オルガンやピアノ、マリンバ、ドラムなど、様々な楽器を演奏するマルチプレイヤーである。しかし、テクノロジー色が強いプログラム、コンピューター系の楽器は演奏しない、という志向は貫いている。
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- HOWLER(ハウラー)
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米ミネソタ州、ミネアポリス出身の5人組バンド。現在19歳のフロントマンのジョーダンは、14歳のころからギタリストとして音楽活動をスタートし、数々のバンドを渡り歩く。様々なバンド活動を経て、自身のバンド、ハウラーを2010年に結成。60年代アメリカン・ロックと80年代パンクの影響を受けるサウンドにポテンシャルを感じたラフ・トレードのレーベル・オーナー、ジェフ・トラヴィスが即契約。NMEの大プッシュを受け話題を呼ぶ中、デビューEP『ディス・ワンズ・ディファレント』をデジタル配信と超限定12インチとしてリリース。2011年11月下旬〜12月にかけて行われたザ・ヴァクシーンズのUKツアー・サポートアクトにも抜擢され、2月に初来日。新人とは思えない圧巻のライブをみせつけた。
- 上原 ひろみ(うえはら ひろみ)
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上原 ひろみ(うえはら ひろみ、1979年〈昭和54年〉3月26日 - )とは、ジャズピアニスト。静岡県出身でアメリカ合衆国在住。米国など海外では Hiromi という名前で通している。2007年(平成19年)9月1日にデザイナーの三原康裕と結婚。人物概要
6歳からピアノを始め、ヤマハ音楽教室で作曲を学ぶ。16歳の時にヤマハで来日公演のためのリハーサルを行っていたチック・コリアと対面。「弾いてごらん」とうながされてピアノに向かった彼女の技術に感銘を受けたチックと、その場で即興での共演となる。公演の最終日にチックから舞台に呼ばれて今度は観客の前で共演。チックから熱い称賛を受ける。
その後、国内外のコンサートに出演し、日産自動車や花王などのコマーシャル・ソングを作曲。20歳でバークリー音楽大学に留学する。卒業を目前にし、米大手のレコード会社テラークレーベルと契約し全米デビュー。音楽院を首席で卒業後、国内デビュー。毎日放送製作のテレビ特集番組『情熱大陸』にとり上げられてTBS系列での全国放映や、キリンのテレビコマーシャルに曲を提供したことで知名度もさらに上昇。短期間で10万枚の売り上げを突破。2004年(平成16年)の日本ゴールドディスク大賞でジャズ・アルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞。2007年(平成19年)2月21日には4枚目のアルバムをリリース。
自身がバンドのメンバーとして参加したアルバムスタンリー・クラーク・バンド フィーチャリング 上原ひろみが第53回グラミー賞「Best Contemporary Jazz Album」を受賞した。
プロフィール生い立ち
静岡県浜松市出身。6歳からピアノを習う。8歳のとき、ピアノ教師の家でジャズのレコードを発見、その後もジャズ好きの教師にめぐまれた。これら周囲の教師らの影響で小学校時代からすでに、オスカー・ピーターソンやエロル・ガーナーに熱中する時代を送り、当時からインプロヴィゼーションをこなす。小学校時代には校内の音楽会で発表するため、人気アニメの主題曲「おどるポンポコリン」を独自に編曲。楽器パートの譜面作りもすべて一人で行い、周囲を驚かせた。またヤマハ音楽教室では、ピアノとともに作曲も学んでいる。
クラシックに関しては、14歳でチェコ・フィルハーモニー管弦楽団と共演した経験を持つ。静岡県立浜松北高等学校時代には、ロックにものめり込んだ。
ヤマハ音楽教室が実施する「ジュニアオリジナルコンサート」(ヤマハでは、JOC と略称する)に何度も参加した。
米国留学
長年付き合いのあるヤマハの音楽支援制度で留学奨学支援を得たのを機に、法政大学法学部を中退、20歳で渡米してマサチューセッツ州ボストン市にあるバークリー音楽大学に留学。留学の目的は、ピアノ修行ではなく作編曲技術の習得が主眼であり、作編曲科で履修した。
在学中に全米各地のジャズフェスティヴァルに出演。
全米デビュー後のことになるが、バークリー音楽大学ジャズ作曲科とCWP (Contemporary Writing & Production) 科を首席で卒業している。
デビュー
デビュー作 Another Mind(日本盤『アナザー・マインド』)は、テラーク・レコードからリリース。アーマッド・ジャマルと、その友人バークリー音楽院の指導者でジャズ・ベーシストのリチャード・エヴァンスによる共同製作作品として結実することになる。
上原はデビューアルバムで、たった3人編成のピアノ・トリオで、どこまで音楽を拡張できるかを課題として追究した。
ブレイク [編集]
全米デビューし、バークリー音楽大学を卒業して日本に里帰りした時点では、上原は国内では全くの無名であった。
毎日放送のテレビ番組「情熱大陸」への出演が、全国的に名を知られるきっかけとなった。11月末からの国内デビュー後初の日本四大都市公演を成功させ、最後の大阪ブルーノートで行なった2日間の公演では、1日に2ステージをこなした。その後メディアで取り上げられることも多くなり、キリンのビール風味の清涼飲料水モルトスカッシュの広告に登場した。
上原は、デビュー後半年も経たぬうちに熱心なジャズ・ファンを中心に関心を持たれるようになった。アルバムの売れ行きは、年内にジャズのアルバムとしては異例の10万枚を突破。この流れを受け、翌2004年には日本レコード協会が主催する日本ゴールドディスク大賞で、ジャズ・アルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞した。
また、スイングジャーナルが主催するジャズ・ディスク大賞で、2008年(同賞第42回)に「ビヨンド・スタンダード」[1]、2009年(第43回)は「プレイス・トゥ・ビー」[2]が金賞を受賞している[3]。
年譜 [編集]
1985年 6歳でピアノを始める。
1987年 8歳の時、ピアノの教師宅でジャズのレコードを発見。以降ジャズへの傾倒が始まる。
1993年 14歳の時、チェコに行く機会があり、チェコフィルハーモニックオーケストラと共演する機会をもつ。
1994年 NHK趣味百科「ピアノで名曲を」に生徒として出演。シューマンの「幻想小曲集作品12 (シューマン)」から「飛翔」「なぜに」を演奏した。
1995年12月 上京のおり、16歳でチック・コリアの公演でステージに呼ばれて共演。
1997年 ミシシッピー州知事からの招聘を受けたヤマハが、現地のサリアマラ国際芸術財団とヤマハ・アメリカ共催で開催したチャリティ(インターナショナル)ジュニアオリジナルコンサート(JOC)に米国の子ども8名とともに特別ゲストとして参加。このコンサートは全米三大ネットワークでテレビ放映された。
1999年 ヤマハ音楽支援制度で留学奨学支援(奨学金)を得て、法政大学を中退し、ボストンのバークリー音楽大学に留学。
2000年
8月25日 東京神田・東京TUCにて 上原ひろみ ピアノライブ THIS IS ME
2003年
4月22日 米国のテラーク・レーベルから初アルバム "Another Mind" をリリース。
5月3日 第8回ケネディ・センター・メアリー・ルー・ウィリアム・ウィミン・イン・ジャズ・フェスティヴァル(Eighth Annual Kennedy Center Mary Lou Williams Women in Jazz Festival)にトリオで出演、そこでの演奏は「ロック、ファンク、ジャズ・パンクと音の力を究めた」と評価された。
5月11日 バークリー音楽大学を首席で卒業。
6月11日 静岡・浜松アクトシティ21
全米デビュー後の日本初ライヴ
6月12日 東京渋谷・JZ Brat Sound of Tokyo
6月25日 ユニヴァーサルより日本盤『アナザー・マインド』リリースし、国内で正式デビュー。
9月30日 ニューヨークのジャズ・スタンダードにてライヴ
10月10日 ドイツのバードランドにてライヴ
10月19日 毎日放送製作のテレビ特集番組「情熱大陸」に出演し、ボストン在住の上原を密着取材した場面やニューヨークやヨーロッパツアーに同行取材して撮影したライヴ映像などが全国配信される。
国内デビュー後の日本四大都市凱旋公演
11月23日 名古屋・ブルーノート
11月25日 - 26日 福岡・ブルーノート
11月27日 - 28日 東京渋谷・JZ Brat Sound of Tokyo
12月1日 - 2日 大阪・ブルーノート (ジャズ・クラブ)(各日2ステージ)
12月13日 - キリンのテレビCMに登場。
2004年
3月10日 第18回日本ゴールドディスク大賞(主催日本レコード協会)で『アナザー・マインド』がジャズ・アルバム・オブ・ザ・イヤーを獲得。
4月21日 セカンド・アルバム『Brain』をリリース。同アルバムはアメリカで『サラウンド・ミュージック・アワード<ニュースター賞>』を受賞。
9月18日 東京JAZZに参加。
10月・11月 日本公演(東京・札幌・大阪・名古屋・福岡・横浜)。
2005年
1月 ブルーノート(ニューヨーク)で公演を行なう。
7月31日 フジ・ロック・フェスティバルに参加。
10月19日 サード・アルバム『スパイラル』をリリース。同アルバムは『ジャズディスク大賞 日本ジャズ賞』を受賞。
11月 - 12月 日本公演。8都市14公演。(福岡・大阪・仙台・横浜・静岡・名古屋・新潟・東京)
2006年
1月 ブルーノート(ニューヨーク)で公演を行なう。
9月 東京JAZZに参加。チック・コリアとの共演も。
9月 浜松市「やらまいか大使」に任命される。
12月8日 昭和女子大学人見記念講堂で矢野顕子とジョイントライブを行なう。この年発売の矢野のアルバム『はじめてのやのあきこ』にも参加。
12月11日 - 12月29日 アジアツアー。うち日本では東京・名古屋・浜松・西宮で公演。他にタイ・シンガポール・インドネシアでも。
ボストン・ミューシック・アワードの2006年ベスト・ジャズ・アクト受賞
2007年
2月21日、4作目のアルバム『Time Control』リリース。前作のトリオにDave Fiuczynski (g) を迎えて“Hiromi's Sonicbloom”というプロジェクトを結成。発売に際してタワーレコード渋谷店でインストアライブ、原宿で番組収録イベントを行う。
第57回芸術選奨新人賞(大衆芸能部門)に選出される。
4月 ブルーノート(ニューヨーク)で公演(3年連続)。
夏のフェスティバル来日公演予定。7月29日 フジ・ロック・フェスティバル'07、7月31日 SUMMER LIVE IN KOUCHI(単独公演)、8月4日 情熱大陸スペシャルライブ大阪公演、8月5日 SAPPORO CITY JAZZ。
11月公開予定の映画『オリヲン座からの招待状』(浅田次郎原作、宮沢りえ主演)にメインテーマ曲「PLACE TO BE」を提供。また、劇中音楽を手がけた作曲家村松崇継はヤマハ音楽教室時代の同窓生。プロになって約11年ぶりに再会を果たした。
9月1日 デザイナーの三原康裕と結婚。
9月 ブルーノート東京で、チック・コリアとのピアノ・デュオでのライブを行う。
2008年
4月30日、チック・コリアとのピアノ・デュオで日本武道館公演。
5月28日、アルバム『Beyond Standard』リリース。
6月27日放送のフジテレビ『僕らの音楽』で絢香と競演。
2009年
4月 スタンリー・クラークのトリオとしてアルバム「JAZZ IN THE GARDEN」をThe Stanley Clarke Trio with Hiromi & Lenny White名義でリリース。
9月 アルバム『プレイス・トゥ・ビー』リリース。初のピアノソロ作品。
2010年
スタンリー・クラーク・トリオとして北米、日本をツアー。
6月2日にTHE STANLEY CLARKE BAND FEAT. HIROMIを発売した。
2011年
日本時間2月14日(現地時間13日)に行われた「第53回グラミー賞」で、自身がバンドのメンバーとして参加したアルバムTHE STANLEY CLARKE BAND FEAT. HIROMIが第53回グラミー賞「Best Contemporary Jazz Album」を受賞した。出典:Wikipedia
JUGEMテーマ:FUJI ROCK FESTIVAL
- ギャラクティック(Galactic)
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ギャラクティック(Galactic, 1990年代初頭 -)はアメリカ合衆国のバンド。ルイジアナ州ニューオーリンズを拠点として活動を行っている。ジャズ、ファンク、ロック、ヒップ・ホップなどのジャンルを融合し、ジャムセッションをライブで行うスタイルを特徴としている。年間に数多くのライブをこなし、ライブを中心に活動を行っている。演奏のスタイル
彼らの演奏はファンク・ジャズ・ロックと称されていることが多い。"ジャム"とも称されるが、何もない状態から演奏を始めている本来の"ジャム"といった意味合いではなく、曲の流れがある程度つくられている中でのアドリブを中心とした演奏といった意味で用いられている。(よって本文中ではジャムといった場合はこのような演奏を指す。)したがって彼らの楽曲には、サビのように繰り返されるメインフレーズが存在することが多い。
活動開始初期はそれぞれの楽器でジャムを行う、またはセリル・デクロウのボーカル曲を演奏するスタイルが中心であった。しかし徐々にバンドは多彩な方向性を見せ始めていき、近年では元来のスタイルはもちろん、電子音楽的な要素を大きく取り入れている。これはベン・イールマンの嗜好によるところが大きい。日本での活動
朝霧JAMやフジ・ロック・フェスティバルへの参加や、何度か日本でも単独公演を行っている。また彼らは日本でのスタジオセッション中に、"Shibuya"というタイトルの曲を作ったことがある。フジ・ロック・フェスティバル'02のステージでは、P-FUNKのジョージ・クリントンと共に"We Want the Funk"を演奏した。出典:Wikipedia





























