オアシス(oasis)
オアシス画像 リアム






■最終メンバー

リアム・ギャラガー(Liam Gallagher, 1972年9月21日 - )メインヴォーカル、タンブリン、ギター。デビュー当時はジョニー・ロットンとジョン・レノンを足して割った声と評される。オアシスの初期メンバーの1人。ジョン・レノンを敬愛している。

ノエル・ギャラガー(Noel Gallagher, 1967年5月29日 - )ヴォーカル、ギター、ベース。リアムの実兄。オアシスの初期メンバーの1人。リーダー兼メイン・ソングライター。2009年8月末に公式ウェブサイトにて突如脱退を表明。この騒動を引き金に、オアシスは活動を停止することとなった。

ゲム・アーチャー(Gem Archer, 1966年12月7日 - )ギター、ベース[4]、キーボード、ハーモニカ。元ヘヴィ・ステレオのフロントマン兼ギタリスト。「ゲム」の名称はもともとスコットランドのサッカー選手の名前からきている。

アンディ・ベル(Andy Bell, 1970年8月11日 - )ベース、ギター[4]、キーボード。
元々、ライド、ハリケーン#1などのバンドでフロントマンやギタリストとして活動。オアシス加入以前までは、ベースを触ったことも無かったとされるが、オアシスではベースを担当している。

クリス・シャーロック(Chris Sharrock, 1964年 - )ドラムス。
ロビー・ウィリアムズのバックバンドでドラマーをしていた。ザック・スターキーの跡を継ぎオアシスのドラマーとなった。



■旧メンバー

ザック・スターキー(Zak Starkey, 1965年9月13日 - )ドラムス。
元ビートルズのメンバーであるリンゴ・スターの息子で、ザ・フーなどで活動。2008年脱退。

アラン・ホワイト(Alan White, 1972年5月26日 - )ドラムス。
元ザ・スタイル・カウンシル、現ポール・ウェラーバックバンドのドラマー、スティーブ・ホワイトの実弟。有名なドラマーのアラン・ホワイトとは別人である。2004年脱退。

ポール・ "ボーンヘッド" ・アーサーズ(Paul "Bonehead" Arthurs, 1965年6月23日 - )ギター。オアシスの初期メンバーの1人。1999年脱退。

ポール・ "ギグジー" ・マッギーガン(Paul "Guigsy" McGuigan, 1971年5月9日 - )ベース。オアシスの初期メンバーの1人。1999年脱退。

トニー・マッキャロル(Tony McCarroll)ドラムス。
オアシスの初期メンバーの1人。1995年脱退(事実上解雇)。


 フジロック2009(金曜日)  GREEN STAGE


オアシス(Oasis)は、イングランド・マンチェスター出身のロックバンド。1991年結成。2009年活動停止。

90年代ブリットポップ・ムーヴメントの代表格であり、ブリットポップ・ムーヴメント後も高い人気を誇った。 全世界でのCDトータルセールスは7000万枚を超える(2009年1月時点)[1]。

2009年8月末、バンドの実質的リーダーであったノエル・ギャラガーは、弟リアム・ギャラガーとの不仲を主な理由としてバンドを脱退[2]。公式な声明ではないものの、リアム・ギャラガーはオアシスは既に終了していると同年10月のインタビューで宣言した[3]。


ポール・ "ボーンヘッド" ・アーサーズ、ポール・ "ギグジー" ・マッギーガン、クリス・ハットン(ヴォーカル)が前身バンド「ザ・レイン」を結成。ザ・レインの初演は、地元マンチェスターのバーネイジにあるカード ゲームクラブで、ドラムマシンを使って行われた。後に、ドラマーとしてトニー・マッキャロルが加わる。

1991年

    * 音楽関係の仕事をしていたノエル・ギャラガーのコネを狙って、ボーンヘッドがクリスをクビにし代わりにリアム・ギャラガーを加入させ、リアムはバンド名を オアシスと改名(ギャラガー兄弟の寝室に貼ってあったオールダムのインディー・ロックバンド、インスパイラル・カーペッツのツアーポスターに由来してい る。ポスターには開催地の1つとしてスウィンドンのオアシス・レジャー・センターが記載されていた)。
    * 8月、オアシスはマンチェスターのボードウォーククラブで初めてのギグを行う。リアムの実兄であり、インスパイラル・カーペッツのローディーであったノエ ルがライヴを観に来る。ノエルはオアシスのサウンドを特にいいものだとは思わなかったが、書き溜めていた曲を活用するいい機会かもしれないと考えた。ノエ ルはメンバー一同に対して「お前たちはどうしようもないクズバンドだ。だがリアムのパフォーマンスには少しだけ光るものがある。俺の曲を演じてビッグにな るか、このままマンチェのクズバンドで終わるか、どっちだ?」と言い放ち、すべてのリーダーシップを自分に委ねることを条件にバンドに加入。

1993年

    * 10月、クリエイション・レコーズと契約する。

1994年

    * 2月、ザ・ヴァーヴのギグに参加するためのアムステルダムへの移動中、船の中でノエル以外のメンバーが乱闘を起こし強制送還される。結局ギグではノエルがひとり弾き語りを行う[5]。
    * 4月、シングル「スーパーソニック」でデビュー。31位を記録する。
    * 8月、3rdシングル「リヴ・フォーエヴァー」をリリース。10位を記録。
    * 9月、アルバム『オアシス』発売。デビューまでの騒動がマスコミで取り上げられていたこともあり、英国で初登場1位のヒットとなり、デビューアルバム最速 売り上げ記録を更新(この記録は2006年にアークティック・モンキーズのデビューアルバムによって破られている)。初来日公演も実現し、東名阪の3都市 全てで会場はクアトロだった。ロサンゼルスではリアムがドラッグを使用しながらライヴを決行。その結果、リアムのパフォーマンスはいい加減なものになり、 観客に対して侮辱するような発言を繰り返し、ノエルをタンバリンで殴り付けた。ノエルはバンドを一時脱退、飛行機でサンフランシスコに向かう(この出来事 をきっかけに「トーク・トゥナイト」が書かれた)。ノエルはレーベル関係者に捜し出され説得を受け、ミネアポリスの公演からツアーを再開した。
    * 12月、クリスマスシングル「ホワットエヴァー」を発売。UKチャート最高3位。現在までアルバム未収録。

1995年

    * 4月、メンバーとの関係が希薄で、技術的に問題のあったドラマーのトニー・マッキャロルが解雇され、代わりにポール・ウェラーの勧めで元スタークラブのア ラン・ホワイトが加入する(アラン・ホワイトは、スタイル・カウンシルのスティーヴ・ホワイトの実弟)。同月、シングル「サム・マイト・セイ」が発表さ れ、シングルで初めてUKチャート1位を獲得。
    * 6月、加入したばかりのアランとともにグラストンベリー・フェスティバルにヘッドライナーで出演。当時としては新記録となる10万人以上の観客を動員するが、ステージで未発表の新曲を多数演奏したために暴動騒ぎが起こった。
    * 8月、メディアに煽られる形で始まった「オアシスvsブラー」の争いは、オアシスのシングル「ロール・ウィズ・イット」とブラーのシングル「カントリー・ ハウス」の同日発売で頂点を迎える。この対決のことで国内のニュースは持ち切りとなる。結局ブラーが1位(27万4000枚)、オアシスは2位(21万 6000枚)に終わるが、ブラーは通常盤とライブ盤の「カントリー・ハウス」(B面も違う)を用意しファンが2枚買うようにしたこと、「カントリー・ハウ ス」の方が値段が安かったこと、オアシス側に集計ミスが多数あったことで本当の意味でのブラーの勝利かどうかは不明である。
    * 9月、ギグジーが精神疲労で一時脱退、代役にThe Ya-YasのScott McLeodを迎えツアーを行う。
    * 10月、2ndアルバム『モーニング・グローリー』発売。UKチャート1位。アルバム売上枚数は全世界で約2200万枚を記録し(2008年時点)、ビー トルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』が持っていた英国アルバム売り上げ記録を約30年ぶりに更新(現在はクイーンと ビートルズに抜き返されている)。その完成度の高さから、当初全曲シングルカットの企画もあったが断念された。
    * 11月、ロンドンのアールズ・コートで2日間4万人を動員するライヴを開催。ヨーロッパの屋内ライヴとしてはこれがギネス記録。また、このときオーディエンスの鳴らす振動が地震として計測されるほどの盛り上がりだった。

1996年

    * この年は95年に発売された『モーニング・グローリー』からの3枚目のシングル「ワンダーウォール」がアメリカでもじわじわとチャートを上昇。オアシスはMTVアウォード(EURO)でベストグループを受賞するが、酔ったリアムがステージで嘔吐する。
    * 4月、「マンチェスターメイン・ロード 2days」を行い、8万人を動員した。
    * 5月、海外向けにシングル「シャンペン・スーパーノヴァ」をリリース。USチャート1位を記録する。この曲はポール・ウェラーがギター、バックヴォーカルで参加している。
    * 8月、ロンドン郊外のネブワースにて2日間で25万人を集める(250万件の予約が殺到した)。名実ともにオアシスがスタジアムバンドにまで登り詰めた。 『MTVアンプラグド』に出演した際、収録直前にリアムが喉の不調を訴えキャンセル。代わりにノエルが全曲で歌を披露した。リアムはバルコニー席でビール とタバコを嗜みながらライヴを鑑賞、曲の間にノエルを野次っていた。4日後、リアムがアメリカツアーに行くことを拒否したため、ノエルをボーカルに据えて ツアーに出発する。その後リアムがバンドに合流するが、数週間後に今度はノエルがバンドを残して飛行機で家に帰ってしまう。メディアにはバンド解散かと騒 がれたが、兄弟はすぐに和解し残りのツアーを終えた。

1997年

    * 8月、3rdアルバム『ビィ・ヒア・ナウ』発売。UKチャート1位、USチャート2位を獲得。UK最速セールス記録を更新し、現在までに全世界で約950万枚を売り上げている。しかしその内容には賛否が分かれ、評論家たちからの容赦のない批評に晒された。

1998年

    * 2月に日本武道館で3日連続公演を行う。滞在したホテルはビートルズと同じキャピトル東急ホテル。
    * 11月、クリスマス商戦に向けBサイドアルバム『ザ・マスタープラン』を発売。UKチャートで最高2位。ファン投票で選ばれた曲が収録されている。当初は 「ホワットエヴァー」の収録も噂されたが結局なかったことに。「アイ・アム・ザ・ウォルラス」と「リッスン・アップ」が一部編集されている。

1999年

    * 8月、ボーンヘッドが脱退[6]。2週間後、後を追うようにギグジーが脱退。ノエルはボーンヘッドのギターとギグジーベースのパートを録り直す。
    * 12月、元ヘヴィ・ステレオのゲム・アーチャーが加入。モナコのデイヴィッド・ポッツとリハーサルを行うがすぐに離脱、元ライド、ハリケーン#1のギタリ スト、アンディ・ベルがギグジーの後任として加入する。デビュー以来所属していたクリエイション・レコーズが倒産。

2000年

    * 2月、4thアルバム『スタンディング・オン・ザ・ショルダー・オブ・ジャイアンツ』を発売。UKチャート1位。前年のクリエイション・レコーズ倒産に伴 い、この年から自ら立ち上げたレーベル・ビッグ・ブラザーからのリリースとなる。プロデューサーには過去3作を担当したオーウェン・モリスの手を離れ、 ポール・スパイク・ステイシーを起用。リアムが書いた曲「リトル・ジェームス」が初めて収録される。オアシスのロゴがゲムがデザインしたものに新しく変更 される。先行シングル「ゴー・レット・イット・アウト!」のPVではアンディの加入が間に合わなかったため、リアム(形式的だがギターをプレイ)、ノエ ル、ゲム、アランの4人で演奏を行っている。また「ホエア・ディド・イット・オール・ゴー・ロング?」のPVではアンディも揃ったメンバーで演奏、リアム が形式的だがキーボードをプレイしている。CDリリースと同時にワールドツアーを横浜アリーナよりスタートさせる。マリンメッセ福岡公演ではリアムが、体 調不良を訴えて途中で退場している。
    * 4月、カート・コバーンの命日から6年にあたるシアトル公演でニール・ヤングの「ヘイヘイ・マイマイ」を演奏した[7]。カートの遺書にはニール・ヤングの『ヘイヘイ・マイマイ』の歌詞の一部が引用されている。
    * 5月、ワールドツアー中、アランが腕を痛めバルセロナでの公演をキャンセルする。バンドメンバーは代わりに飲み明かすが、リアムが当時のノエルの妻メグ・ マシューズを侮辱し始め、「アナイスの父親は本当にノエルなのか」とノエルに疑問を投げかけ、殴り合いに発展する。ノエルはバンドを一時離脱、過去最大の 解散危機を迎える[8]。急遽、代役のギタリストとしてマット・デイトンを起用。バンド史上初めてノエル抜きでライヴが行われる。このときの「アクイー ス」はノエルパートを丸々観客に歌わせていた。
    * 11月、ノエル復帰後、ロンドンウェンブリー・スタジアムでの公演を収録したライヴアルバムとライヴDVD『ファミリアー・トゥ・ミリオンズ』を発売。 CD2枚組と1枚組が存在する。ウェンブリー・スタジアムでは7月に2日間コンサートが行われ、リアムの調子が良かった1日目がライヴアルバム、 DVDとしてリリースされた。2日目は二日酔いのリアムがフラフラでステージに立つシーンが見られる。このときの模様は有料放送でヨーロッパ中に放映さ れ、日本でもWOWOWが放映した。リアムは「2日公演なのを知らなかった」と弁明。

2001年

    * 初頭、南米ツアーをスタート。
    * 5月、ブラック・クロウズ、スペイスホッグと北米ジョイントツアー「Brotherly Love ツアー」を敢行[9]。
    * 7月、フジ・ロック・フェスティバル'01で初日のトリを務める。また秋から冬にかけてバンド結成10周年小規模クラスのツアー「10 Years of Noise and Confusion Tour」が行われた。

2002年

    * 5月、『MTV The Super Dry Live』、『MTV Video Music Awards Japan 2002』出演を含めた来日プロモーションを果たし、数々のメディアへ出演を果たす。
    * 7月、5thアルバム『ヒーザン・ケミストリー』発売。UKチャートで1位を獲得。また、このアルバムではリアムがソングライターとしての腕を上げ、3曲 を提供。ゲムとアンディもそれぞれ一曲ずつ手がけた。このツアーよりライヴの最後の曲がザ・フーのカヴァー「マイ・ジェネレイション」になる。
    * 8月、ノエルとアンディ、ジェイ・ダーリントンを乗せたタクシーが衝突事故を起こす[10]。
    * 9月 - 10月、東京(代々木第一体育館)、福岡、大阪、仙台、広島で来日ツアーを敢行。福岡公演(福岡国際センター)では前回のライヴに続いて(そのときとは事情が違うものの)、リアムが途中退場するハプニングもあった[11]。
    * 12月、ミュンヘンのナイトクラブでリアムとアラン、バンド関係者3人が乱闘を起こし逮捕される[12][13]。リアムは前歯を2本失い、警察官の胸部 を蹴りつけた。アランは灰皿で頭を殴られ軽症を負った。バンドメンバーは大量にアルコールを摂取しており、リアムはコカインを使用していた[14]。2年 後、リアムは3万5000ポンド(約700万円)の罰金を支払った[15]。

2004年

    * 1月、アラン・ホワイトが脱退。元ビートルズのリンゴ・スターの息子ザック・スターキーがサポートドラマーとして参加する。
    * 6月、9年ぶりにグラストンベリー・フェスティバルに出演するが、評判はあまり良くなかった[16]。
    * 10月 - 12月、デイヴ・サーディとスタジオ入りする。

2005年

    * 5月、6thアルバム『ドント・ビリーヴ・ザ・トゥルース』発売[17]。UKチャート1位を獲得。『モーニング・グローリー』以来の傑作として称賛を浴 びる。イギリスでシングル「ライラ」も初登場1位を獲得。これでオアシスのNo.1シングルは7枚目、またシングル・アルバム総チャートイン週は766週 に。日本ではアルバムがオリコン初登場1位を記録。これは英国のバンドのオリジナル・アルバムとしてはベイ・シティ・ローラーズ以来、30年ぶりである。
    * 5月、過去10年間においてUKで最も成功したバンドとしてギネスに認定される[18]。
    * 6月30日 - 7月3日、9年ぶりに地元チームマンチェスター・シティのホームグラウンド(シティ・オブ・マンチェスター・スタジアム)で3日間のライヴを開催。
    * 8月、サマーソニック'05のヘッドライナーを務める。
    * 11月、来日し大阪城ホール、東京の代々木第一体育館でライヴを行なった。

2006年

    * 3月、映画『GOAL!』のサントラに3曲を提供。そのうち1曲はノエルがヴォーカルを取る新曲。
    * 11月、ノエルの選曲による初のベストアルバム『ストップ・ザ・クロックス』を発売。6thアルバム『ドント・ビリーヴ・ザ・トゥルース』に続いてオリコ ン初登場1位を獲得。ほぼ同時に、ツアーの模様を収めたロードムービー『ロード・ドント・スロー・ミー・ダウン』が公開される(ただし試写会のみ。 2007年10月のDVD化)。また、世界各地でノエルがゲム、サポートドラマーのテリーとともにアクースティック・ライヴを披露する。日本でも11月 15日に『笑っていいとも』へ生出演し、MySpace主催によるシークレットライヴが恵比寿LIQUIDROOMにて行われた[19][20]。翌16 日には『ロード・ドント・スロー・ミー・ダウン』の特別試写会後にノエルが登場し、ノエルへのインタヴューやQ&A、ノエル単独でのアコース ティック演奏がSHIBUYA-AXにて行われた[21][22]。
    * 10月、ソニーウォークマンのイメージキャラクターを務め、テレビCMやカタログに登場する。Sシリーズ(NW-S700F)のCMには「ライラ」が、A シリーズ(NW-A800)のCMには「モーニング・グローリー」が使用されている。日本映画『シュガー&スパイス 風味絶佳』にも、主題歌の「ライラ」を筆頭に、多くの既発曲を提供。

2007年

    * 2月、ブリット・アワード生涯功労賞を受賞。
    * 6月、ビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』40周年記念スペシャル番組へ「ウィズイン・ユー・ウィズアウト・ユー」のカヴァー曲を提供。
    * 10月21日、バンド初のダウンロード限定販売シングル「ロード・ドント・スロー・ミー・ダウン」をリリース。本国イギリスでは10月29日にロードムービー『ロード・ドント・スロー・ミー・ダウン』がDVDでリリース(日本盤は12月5日発売)。

2008年

    * 5月、ザック・スターキーがザ・フー専念の為離脱。
    * 6月、オフィシャルサイトより9月29日にシングル「ザ・ショック・オブ・ザ・ ライトニング」、10月6日にアルバム『ディグ・アウト・ユア・ソウル』をリリースすることが発表される。録音はアビー・ロード・スタジオで行われ、プロ デューサーは前作同様デイヴ・サーディ。イギリスではスタジオアルバムがデビュー作から7作連続で1位、アメリカでは『ビィ・ヒア・ナウ』がUSチャート 2位を獲得して以来11年ぶりにトップ10入りして5位を獲得した。

2009年

    * 3月、3年半ぶりとなる来日公演を敢行。初の札幌公演から「ホワットエヴァー」が演奏されるようになる。27日には『ミュージックステーション』の3時間 スペシャルに生出演し、特設ステージにて3曲(「フォーリング・ダウン」、「ザ・ショック・オブ・ザ・ライトニング」、「ホワットエヴァー」(アンコー ル))を生演奏した。
    * 6月、リアムがファッション・ブランド「プリティーグリーン」を設立。
    * 7月、フジロック・フェスティバル'09のヘッドライナーを務める。
    * 8月、ノエルが正式脱退[23]。
    * 10月、リアムが英国タイムズのインタビューにてオアシスの終了を宣言する(公式な解散発表ではない)。


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