ザ・ストーン・ローゼズ(The Stone Roses)


ザ・ストーン・ローゼズ(The Stone Roses)はイギリスのロックバンド。1983年にマンチェスターにて結成され、ニュー・オーダーやハッピー・マンデーズ、ザ・シャーラタンズといったバンドとともに、マッドチェスター・ムーヴメントの中心的存在として活躍。『ストーン・ローゼズ』(1989年)と『セカンド・カミング』(1994年)を発表した後、1996年に解散。わずか2枚のアルバムしか残さなかったにもかかわらず、オアシスをはじめとするブリットポップや後の音楽シーンに多大なる影響を与えた[1]。
解散後も幾度となく再結成が噂されてきたが、2011年10月18日に再結成することが正式発表された[2]。


初期

1983年、幼馴染のイアン・ブラウン(ヴォーカル担当)とジョン・スクワイア(ギター担当)によって結成される。残りのメンバーはリズムギター担当のアンディ・カズンズとベース担当のピート・ガーナー。1984年にドラムス担当のサイモン・ウォルステンクロフトが脱退した後、新たにレニ(本名アラン・レン)がドラマーとして迎えられラインナップが固定された。
ストーン・ローゼズというバンド名の由来は諸説ある。一つはローリング・ストーンズのストーンとポール・ウェラーに傾倒していたイアンがザ・ジャムの「イングリッシュ・ローズ」からつけたというもの[要出典]。また、rockin'on誌のインタヴューでは硬いもの=石、と柔らかいもの=薔薇の組み合わせであると語っている[要ページ番号]。
1984年の夏を作曲と練習に費やした後、同年10月23日にロンドンにて初めてのライヴを行う。1985年春にはプロデューサーのマーティン・ハネットと共にスタジオ入りする。当時の彼らは展開が速く攻撃的でパンク色の強い曲を演奏していたが、後にファーストアルバムの1曲目を飾る幻想的な『アイ・ウォナ・ビー・アドアード』もこの頃に書かれており、音楽的に過渡期にいた。結局、ハネットとレコーディングした作品にメンバーは納得せず、お蔵入りとなった。しかし、このセッションから得られた『ソー・ヤング/テル・ミー』が両A面シングルとして同年9月にThin Line Recordsからリリースされ、結果的にこれがローゼズのデビューシングルとなった。
1986年5月にカズンズが脱退しローゼズは4人編成となる。1987年5月にはFM Revolverよりセカンド・シングル『サリー・シナモン』を発表。これまでのセックス・ピストルズ調のノイズを轟々と響かせた曲から一転し、バーズ調のメロディ重視の楽曲へと大きな変化を遂げる。初期プレスの1000枚は完売し、全英インディーチャートで最高3位を記録した。
1987年8月にベーシストのマニ(本名ゲイリー・マンフィールド)が加入し、よく知られた顔ぶれがそろう。翌1988年10月にはニュー・オーダーのピーター・フックによるプロデュースの下でシングル『エレファント・ストーン』をリリース。前後してシルヴァートーンとレコード契約を結び、アルバムの制作に着手する。
ファーストアルバムとその成功 [編集]
1989年の初頭にかけてローゼズはジョン・レッキーをプロデューサーに迎えレコーディングを行う。1989年2月にはアルバムに先駆けてシングル『メイド・オブ・ストーン』をリリース。当初の反響は小さかったが、3月11日にNME誌のシングル・オブ・ザ・ウィークに選ばれる。5月には満を持して1stアルバム『ストーン・ローゼズ』を発表。全英アルバムチャート初登場47位を記録し、最高32位まで上昇。同年7月、アルバムからシングル『シー・バングス・ザ・ドラムス』がカットされ全英インディーチャート1位を記録する頃にはプレスも彼らの存在を無視できなくなり、ストーン・ローゼズの名は急速に英国全土へ名が広まっていった。特にBBCの番組に出演した際、演奏途中で停電が起きたことに怒ったイアンが司会に向かって繰り返し「アマチュア!」と罵ったという事件はよくも悪くもバンドの知名度上昇に一役買った。秋に入ると英国外でも短いツアーを行い、10月の初来日公演では東京など4会場でライヴを行った。
11月、シングル『フールズ・ゴールド/ホワット・ザ・ワールド・イズ・ウェイティング・フォー』をリリース。全英シングルチャート最高8位を記録し、初のチャートトップ10入りを果たす。年末の特集記事では多くの音楽雑誌がローゼズをベスト・ニューカマーに選出。NME誌だけでもバンド・オブ・ザ・イヤー、ベスト・ニュー・バンド、シングル・オブ・ザ・イヤー(『フールズ・ゴールド』)、アルバム・オブ・ザ・イヤー(『ストーン・ローゼズ』)に選ばれた[3]。
1990年1月、元所属レーベルのFM Revolverがバンドの意に反してシングル『サリー・シナモン』を再リリースしてミュージック・ビデオを制作したことに抗議。オフィスに乱入したローゼズとそのマネージャーは辺りに青と白のペンキをぶちまけた。翌日メンバーは逮捕され、3月に器物損壊罪で有罪判決を受けた。5月27日にはスパイク・アイランドにて後に伝説となる野外ライヴを行う[4]。約2万7千人の観客を動員したこのライヴは「バギー世代のウッドストック」と称され、ローゼズのキャリアのピークとなった[5]。6月、シングル『ワン・ラヴ』をリリースし、最高4位を記録した。
同じ頃、所属レーベルのシルヴァートーンにおける待遇に不満を持ったバンドは移籍を希望するが、レーベル側は契約を盾にこれを拒否。問題は法廷闘争に発展するが、1991年5月に契約の解除が認められ、ローゼズは新たにゲフィンと契約した。


セカンドアルバムから解散へ

泥沼化していた裁判に加え、イアンとジョンが父親になり、バンドに近しい人物が相次いで亡くなるなど周辺環境に大きな変化が生じたこともあり、ローゼズは長きに渡る沈黙に入る。1stアルバムからは5年半、最後のライヴからは4年半が経過し、英国の音楽シーンにおけるブームもマッドチェスターからブリットポップへと移り変わっていた。そんな中で1994年12月に2ndアルバム『セカンド・カミング』が発表される。ジョン主導で制作され、レッド・ツェッペリンからの影響が色濃くうかがわれる本作は全英4位、全米チャート47位を記録し、イギリスではプラチナムに認定された。また、アルバム発売にあたり、ホームレス救済雑誌『ビッグイシュー』に独占インタヴューが掲載された。シングル『ラヴ・スプレッズ』も2位を記録し一定のセールスを上げる一方で、音楽性が急激に変わった本作への評価は芳しくなく一部のメディアからは酷評された。
翌1995年の3月にレニが突然バンドを脱退する。脱退理由の正式な説明はなされないまま、後任にロビー・マディックスが加入。4月にはノルウェーのオスロでのライヴを皮切りにヨーロッパとアメリカを回るツアーが開始された。しかし、その途中の6月にジョンがサンフランシスコでマウンテンバイクを運転中に鎖骨を骨折。直後に予定されていた日本ツアーなどが延期になり、グラストンベリー・フェスティバルへの出演がキャンセルされた。12月には1989年以来となる全英ツアーが行われ、チケットは即完売した。
1996年4月1日、ジョンが脱退。彼が残した声明で、バンドを去ることは「過去数年間にしだいに生じていった人間関係と音楽性の溝から避けられない結果だった」[6]と説明されている。後任にはエイジアやシンプリー・レッドでセッション・ギタリストを務めたアジズ・イブラヒムが迎えられ、夏に予定される複数のロック・フェスティバルに向けて準備が始められた。
8月25日には大トリとしてレディング・フェスティバルに出演[7]。しかし、終始音を外したイアンのボーカルや女性バックコーラス兼ダンサー陣を加えたステージは観客に受け入れられず、ブーイングや物が飛び交う事態になった。加えてプレスも一斉にローゼズのパフォーマンスを批判した[8]。これを受け、イアンとマニは10月に解散を発表、ストーン・ローゼズの歴史に終止符を打った。


解散後の動向

ヴォーカルのイアン・ブラウンはソロ活動を開始し、1998年にソロアルバム『アンフィニッシュド・モンキー・ビジネス』でデビュー。2011年までに6枚のオリジナル・アルバムと1枚のベスト・アルバムをリリースした。ギタリストのジョン・スクワイアはザ・シーホーセズを結成。1997年のデビューアルバムは一定の成功を収めるもメンバーとの音楽性の相違により1999年に解散。2002年にソロデビューし2枚のアルバムをリリースするが、2000年代半ばからは画家としての活動が中心になっていた。
マニは1996年に元々親交があったプライマル・スクリームにベーシストとして加入。『バニシング・ポイント』以降のアルバムでプレイした。またDJとしても活動し何度か来日もしている[9]。ドラムスのレニは自らがフロントマンになり「The Rub」を結成。ヴォーカルとリードギターを務めたが、作品を発表することなく解散した。
時折り再結成の噂が浮上したが、元メンバーはそのたびにこれを否定。イアン・ブラウンは2004年のライヴでストーン・ローゼズの楽曲を披露したが、再結成の可能性は明確に否定した[10]。2005年には巨額のオファーも蹴っている[11]。また、ジョン・スクワイアも2009年にアート作品によって再結成の意志がないことを再度表明した[12]。その一方で、マニは2008年末のインタビューで再結成への関心をみせていた[13]。また、レニも2005年にマニに誘われてイアン・ブラウンのライヴを観に行った際に、四人がまた一緒に活動することは「絶対にないとはいえない話だけど、それは今年ではない」と述べていた[14]。


再結成

2011年春、マニの母親の葬儀の際にイアン・ブラウンとジョン・スクワイアが15年ぶりに会話を交わす[15]。これまで絶縁状態だった二人が再会したことで一気に再結成の機運が高まった。
2011年10月18日、イアン、ジョン、レニ、マニが記者会見を開き、再結成を発表[16]。2012年6月29、30日にマンチェスターで再結成ライヴを行うことが決定し、その後の世界ツアーや新しいアルバムの発表も計画されていることが伝えられた[17]。11月8日にはフジロック・フェスティバル2012への出演が発表された[18]。


出典:wiki



メンバー

主要ラインナップ (1987年-1995年)

イアン・ブラウン Ian George Brown / ヴォーカル (1963年2月20日生まれ)
結成時から解散まで在籍した唯一のメンバー。
ニックネームは「マンチェスターのボス猿」(Manchester King Monkey)

ジョン・スクワイア Jonathan Thomas Squire / ギター (1962年11月24日生まれ)
結成時からのメンバー。イアンとは幼少の頃、公園の砂場で出会って以来の幼馴染。
アルバムやシングルのジャケットに描かれたジャクソン・ポロック風のアートワークはジョンによるもの。
1996年4月に「このままではいつまでたっても、カーテンの揺らめきに言いようのない不安を覚えるのと同じだ」と言い残し脱退。

マニ Gary Michael Mounfield / ベース (1962年11月16日生まれ)
オーディションを経て1987年8月にローゼズに加入し、解散までベースを担当した。
加入以前からイアンやジョンとは知り合いであった。

レニ Alan John Wren / ドラム、バッキング・ボーカル (1964年4月10日生まれ)
1984年5月に加入。1995年2月、セカンド・カミング・ツアーの前に脱退。
卓越したドラムの技術のみならず、コーラス・ワークでもバンドに貢献した。


主要ラインナップ以前


アンディ・カズンズ Andy Couzens / リズム・ギター (1983年から1986年5月まで在籍)
ピート・ガーナー Pete Garner / ベース (1983年から1987年8月まで在籍)
サイモン・ウォルステンクロフト Simon Wolstencroft / ドラム (1983年から1984年途中まで在籍)
初代ドラマー。ザ・スミスの前身バンドを経て加入し、ローゼズ脱退後はザ・フォールに加入。
ロブ・ハンプソン Rob Hampson / ベース (1987年)
在籍期間は1週間と非常に短かった。


主要ラインナップ以後

ロビー・マディックス Robbie J. Maddix / ドラム
脱退したレニの後を引き継いだドラマー。リミキサー/プロデューサーでもあり、シングル『ベギング・ユー』収録の「Chic Mix」は彼の仕事。ヴォーカル以外の全楽器がローゼズのメンバーにより演奏し直されている。
アジズ・イブラヒム Aziz Ibrahim / ギター
脱退したジョンの後を引き継いだギタリスト。隠し味としてアジア風のメロディを奏でる。シンプリー・レッド、エイジア、ポール・ウェラー、ノエル・ギャラガー、電気グルーヴ等との仕事で知られる。
後にイアン・ブラウンのソロキャリアにおけるレコーディングおよびツアーにて不可欠なメンバーとなる。
ナイジェル・イッピンソン Nigel Ippinson / キーボード
セカンド・カミング・ツアーからローゼズ最後のステージとなった1996年のレディング・フェスティバルまでキーボードを担当。
チャリティアルバム“HELP”収録された『ラヴ・スプレッズ』再録バージョンで彼の演奏が聴ける。


その他関係者

ジョン・レッキー John Leckie
1stアルバムのプロデューサー。2ndアルバムでも一部の曲を担当した。
クレッサ Cressa
ダンサー兼ギターエフェクターの操作担当[19]。一度見たら忘れられないタコの様な奇妙な動きをステージ上にて行う。1stアルバムの頃にライヴ要員として活躍。


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