POLYSICS(ポリシックス)
POLYSICS(ポリシックス)



現在のメンバー

ハヤシ
 - ギター、ボーカル、ヴォコーダー、プログラミング担当。1978年8月8日生、東京都出身。元POLY-1。POLYSICSのリーダー。メンバー紹介ではハヤシヒロユキとも紹介されている。主にフェンダー・ストラトキャスターを使用。以前のメインギターはギブソン・SG、フェンダー・ジャズマスターとさかのぼることができ、現在でも時々使用している。またディーヴォのギタリストが使用していた細長いギター、ラ・バイエ 2x4も所有。ライブなどでは使いづらいということで、プロモーションビデオ等に限り使用している。
ライブ時には非常に高いテンションでのパフォーマンスをみせることがハヤシの特徴の一つである。この為、ライブが始まって2、3曲目には汗まみれの姿になる。また、基本的にライブでのMCはハヤシ一人で行っている。
POLYSICSとしての活動とは別にルパン三世主題歌等のリミックスやHALCALIの楽曲プロデュースなどといった活動も行なっている。また、ロックフェスやDJイベントでは、DJとしても活躍している。ハヤシのDJはCDを流し、それに合わせたカラオケやエアギターなどの様々なパフォーマンスを行うという異質さから、ロックフェス等では注目されるイベントとなっている。このハヤシによるDJは、“DJと言う名の不法集会”と呼ばれる。また、DJを行なう際のハヤシは「DJハヤシ」という呼ばれ方をすることが多い。
ライブやテレビ、ラジオ、雑誌等のメディアへの出演時には、「トイス(TOISU!)」という挨拶をしている。ハヤシ曰く、この挨拶の発音はいかりや長介による「おいっす!!」という挨拶のそれと同様であるという。
ステージやカメラの前では常にハイテンションだが、つなぎを脱ぐとただの温厚なメガネの好青年。
 ラーメン、特にタンメンを好物とし、西瓜やとんかつを嫌う。また、特撮ファンで、フィギュアをこよなく愛し収集している。テクノやニューウェーブ・ミュージックなどの音楽に関して造詣が深い。カヨや周囲の人間から、「ハヤシはオタク気質である」と表現されることが多い。
カヨとは高校の同級生で軽音部員同士だった。カヨは学生時代のハヤシの印象を暗かったと語っている。

カヨ
 - シンセサイザー、ボーカル、ヴォコーダー、リコーダー担当。1979年3月27日生、東京都出身。元POLY-3。Clavia Nord Lead 2、ローランド JUNO-Gを使用。左利きである。
1997年11月にPOLYSICS加入。当時カネコの脱退により、POLYSICS内ではシンセサイザーを演奏するメンバーが居なくなっていた。その様な状況の中、ハヤシが高校時代からの知り合いであるカヨをPOLYSICSへ誘った。カヨは4歳から10年程度ピアノを習っており、その経験をかわれた。
初めて参加したライブは加入前のPOLYSICSのライブである。
ライブ中、感情を表に出すことはほとんどなく、アンドロイドのように決まった動きしかしない。また、雑誌やテレビ等のメディア媒体への出演時においても、同様のキャラクターとして振舞うことが多い。だが、このロボットのような動きはあくまでもバンドとしてのキャラクターであり、普段はいたって普通の女性。
POLYSICSとは別に 『三つ編みヒロイン』といった楽曲を発表するなど、ソロ活動の経験もある。
POLYSICSへの加入以前は、ニューウェーヴサウンドに対し特別な興味は無かった。ちなみにDEVOの音楽を聴いたのはPOLYSICSへの加入後である。
趣味はブライスやエルモ、ふくろう等のグッズ集め。チョコレートが好き。アルコールは受け付けない。
ハヤシとは高校の同級生で軽音部員同士だった。ハヤシ曰く「POLYSICSの金担当」。尊敬している人物は漫画家の[手塚治虫]。
2010年3月14日の武道館公演を最後に、バンドを脱退することが発表された。[1]

フミ
 - ベース、ボーカル、シンセサイザー担当。1978年4月25日生、東京都世田谷区出身。
ヤマハ・SBV-550を使用(他にもSBV-500や、SBV-J1、J-2など、SBVシリーズのモデルを計6本を所有)。以前はフェンダー・プレシジョンベースを使用。曲によってはシンセサイザーも弾く。1999年からサポートメンバーとしてPOLYSICSに参加。2001年にリリースされたアルバム『ENO』より正式メンバーとして加入。加入以前には54NUDE HONEYSというバンドに所属し、ギターを担当していた。ベースを始めたのは加入後が初である。
ハヤシによるDJイベントにゲストとして登場することが多い。その際には、『夢見る少女じゃいられない』や『林檎殺人事件』などに合わせたパフォーマンスが恒例である。
カヨやヤノとは対照的に、ライブ中には笑うなど感情を表面に出す場面が多い。
酒を好む。それが高じて自宅でイカの燻製などといった酒の肴を作るといったことも行っていた[1]。この嗜好を反映するように、メンバーによるBlog「POLYSICSのできぬかな」では度々お酒の話が登場する。また、白木屋などの、居酒屋チェーン名の英訳をただ羅列した歌詞を持った曲を作っている。ハヤシ曰く「POLYSICSの酒担当」。
男らしい性格。ハヤシからは「実はフミはぬいぐるみを着ていて、背中のチャックを開けるとおっさんが出てくる」「ヤノより男らしい」と言われた。喫煙家である。

ヤノ
 - ドラムス担当。1981年6月6日生、愛媛県今治市出身。
Pearl Carbonply Mapleを使用。メンバー紹介ではヤノマサシとも紹介されている。
2004年5月にPOLYSICSへ加入。ドラムス募集のオーディションを経てPOLYSICSへの加入が決定した。カヨ同様、メディアに登場する際にはマネキンのように動かなかったり、一言も喋らなかったりとロボットのようなキャラクターを演じる場合が多い。しかしながら、カヨに比べテレビ出演時には普通に会話をしたり、コメントを発することがある。また、「プロテニス」、「ズーバーマン」(ともに『KARATE HOUSE』収録)等の楽曲ではコーラスも担当している。コーヒー愛好家で、メンバーによるブログ「POLYSICSのできぬかな」では喫茶店の話などがたびたび出ている。また、ヨガを好んで行っている。普段は伊達メガネをかけている。加入時期や年齢の差から他の3人には敬語で喋り、他のメンバーからイジられる場面が多々見受けられる。ハヤシによると「(ヤノは)メンバー入り当初、あまりのプレッシャーから寝言で奇声を発した」らしい。


過去のメンバー


カネコ
 - シンセサイザー担当。
POLYSICSの初期メンバーの一人。Polysixを使用していた。1997年11月に脱退。

POLY-2(サコ)
 - シンセサイザー、ヴォコーダー、パン投げ担当。
POLYSICSの初期メンバーの一人。本名は迫英介。1999年のデビューアルバム『1stP』リリース後に脱退。POLYSICS脱退後はヤング100Vなどで活躍。

スガイ
 - ドラムス担当。1975年9月6日生。
元POLY-4。メンバー紹介ではスガイジュンイチとも紹介されていた。1998年6月にPOLYSICSに加入。その後、2003年の『カジャカジャグー』レコーディング後に脱退。

 フジロック2009(日曜日)  WHITE STAGE


POLYSICS(ポリシックス)は、1997年に結成された日本のニュー・ウェイヴ・ロック・バンド。キューンレコードに所属している。2009年12月23日、公式HP上で、2010年3月14日の武道館ライブをもってカヨの卒業、そして充電期間と称して一時的に活動を休止することを発表した。

ディーヴォ・スピリッツの継承者

POLYSICSはインディーズ時代、メンバーをそれぞれPOLY-1、POLY-2、POLY-3、POLY-4というコードネームで呼んでいた。これはアメリカのニュー・ウェイヴ・バンドのディーヴォの BOB1号、BOB2号(メンバーにボブが二人いたため)を発展させたものである。POLYSICSに最も大きな影響を与えているのはディーヴォであり、バンドリーダーのハヤシがたびたび述べている通り、バンド活動の初期からPOLYSICSはディーヴォの精神の継承者として音楽を作ってきた。彼らのディーヴォへのリスペクトはPOLYSICSの楽曲や映像作品の随所に見ることができる。メンバー揃いの目隠し線を模したバイザーとつなぎも彼らの影響である。しかし、これらは年月を増すごとに少しずつデザインが変化し、一時期はジャケット姿やボーイスカウトを模した衣装等、異なる時期もあった。現在は結成当初に着ていたつなぎと同じ色であるオレンジのつなぎに、黒いバイザーを着用している。また、露出時は殆どつなぎの為、フェス等でも普段着で移動するときは電車らしい。(ハヤシ曰く「POLYSICSとBEAT CRUSADERSは意外と平気」)

2003年8月のサマーソニックでは、ステージは違いながらもディーヴォと競演し、その際にディーヴォから「君たちはディーヴォの正統な後継者だ」とお墨付きをもらった、と後にハヤシが語っている。

サウンドの特徴

テクノ・ポップやニュー・ウェイヴを咀嚼し、独自のロックテイストをくわえたサウンドが特徴。結成当初は詞は全て英語、もしくは宇宙語(en:gibberish、解読不能な言葉)だったが、シングル『NEW WAVE JACKET』以降日本語でも歌うようになった。ライブでは、フロントマンであるハヤシがエネルギッシュなパフォーマンスを見せる一方で、カヨやヤノは無表情で楽器を演奏し、不思議な空間を作り出すという独特の演出で人気を博している。ただし、ヤノに関しては近年の楽曲ではシャウトを担当するなど、フロントマンに負けず劣らずのパフォーマンスを披露している。アメリカやイギリスなど世界を股にかけたライブ活動も精力的に行っており、世界中で熱狂的なファンを得ている。

POLYSICSにとってはディーヴォが最大の影響を受けた存在であると言えるが、それ以外の多くのバンドやミュージシャンからも様々な影響を受けていることが伺える。例を挙げると、P-MODEL、クラフトワーク、筋肉少女帯、XTC、トーキング・ヘッズ、イエロー・マジック・オーケストラ、ノイ!、一風堂、有頂天、ユニコーン、L遵。-PPISCH、電気グルーヴ、ブライアン・イーノ、ニルヴァーナ、デヴィッド・ボウイ、キング・クリムゾン、ピンク・フロイド、イエスといった面々である。

POLYSICSはまた プラスチックス、ヒカシュー、スティクス、ザ・ナック、シン・リジィ、スージー・クアトロ、ディーヴォ、ソフト・セル、フランク・シナトラ、ラモーンズ、P-MODEL、スピッツ、ニューロティカ、レピッシュといったミュージシャンの楽曲のカヴァーも行っている。

バンド名の由来

バンド名は、リーダーのハヤシが生まれて初めて購入したシンセサイザー、コルグの「polysix」に由来する。この「polysix」は『Now is the time!』までは楽曲やライブで使用されていた。



結成からメジャーデビュー (1996年-2000年)

1996年にDEVOに出会い、およびP-MODELの野音でのライブを観たことで、ハヤシはPOLYSICSというバンドの結成を決意。 1997年3月に高校の同級生同士であるハヤシ、サコ、カネコで結成。3月4日に新宿JAMで初ライブを行う。11月にシンセサイザーを担当していたカネコが脱退し、その穴を埋める形でカヨが加入。

1998年6月にスガイが加入。この頃に「POLY-X」というコードネーム、バイザーとつなぎを導入し、初期のPOLYSICSのスタイルが完成した。9月に、日本のロックシーンで盛り上がりの兆しを見せていた新世代ニュー・ウェイヴのバンド有志によるオムニバスアルバム『TOKYO NEWWAVE OF NEWWAVE '98』に参加し、注目を集めるようになった。この頃は主にPOLY-2の食パン投げなどのキワモノ的パフォーマンスをするバンドとして知られていた(当初は袋に入った煎餅を投げていたが、「当たると痛い」という客からの苦情が殺到し、食パンに変えた)。

1999年にDECKREC RECORDSと契約し、2月にデビュー・アルバム『1stP』をリリースした。『1stP』のリリース後に、POLY-2(サコ)が脱退し、それを機に「POLY-X」というコードネームを廃止した。夏にはフジ・ロック・フェスティバルへ出演。そして、10月に2ndアルバム『A・D・S・R・M!!』をリリースした。この頃から、サポート・メンバーとして元54NUDE HONEYSのフミがベースで参加するようになった。同年、初の全国ツアーを敢行した。

2000年3月にSXSW2000への出演、およびアメリカツアーを敢行。このアメリカツアー中に、ハヤシはロスアンゼルスにあるDevoのスタジオを訪れた。そこで、ハヤシはDevoメンバーと直接会話を交わした。この時、DEVOへPOLYSICSのCDを渡す。

NEUからFOR YOUNG ELECTRIC POP (2000年-2002年)

2000年4月にはキューンレコードと契約し、シングル『XCT』『each life each end』をリリースした。また、9月にはメジャー・1stアルバム『NEU』をリリースした。テクノポップ色が後退し、バンドのライブ感が前面に出た作品となった。

2001年4月に、3rdシングル『NEW WAVE JACKET』をリリース。この頃から、歌詞に日本語が用いられるようになっていった。同年6月にリリースされたアルバム『ENO』では一転シンセサウンドをより強く意識した音作りにシフトした。このアルバムからフミが正式メンバーとして加入した。同時期には全国ツアーを敢行した。また、8月には幾つかのロックフェスティバルへ出演し、その中でROCK IN JAPAN FESTIVALへ初出場した。同年、アメリカと韓国でコンピレーションアルバム『Hey! Bob! My Friend』がリリースされたが、セールス的には振るわなかった。『Hey! Bob!〜』は、アメリカではASIAN MAN RECORDS、韓国ではPONYCANYON KOREAであった。

2002年のアルバム『FOR YOUNG ELECTRIC POP』ではポップなサウンドへと移行し、初期の作品に見られたパンキッシュなエネルギーが抑制された反面、楽曲の構成やスタイルが大幅に洗練された作品となった。しかしながら、この時期のPOLYSICSは、作品や集客に関する売り上げの落ち込みといった商業的な面で伸び悩んでいた。そのこともあり、この『FOR YOUNG〜』のリードトラックの選定やライブでのスタイルなどについては、スタッフなどからの意見が多く入った。この頃を振り返り、ハヤシは「(FOR YOUNG ELECTRIC POPについて)思いがあんまり伝わらなくて、セールスもどんどん落ちてきましたね」と語っている[2]。

カジャカジャグーからNational P (2003年)

2003年5月にミニアルバム『カジャカジャグー』をリリース。このアルバムのレコーディングを最後にドラムのスガイが脱退し、サポート・メンバーとして、SNAIL RAMPのイシマルがドラムで参加するようになった。その後10月には、アルバム『National P』がリリースされた。

『カジャカジャグー』及び『National P』を制作した時期は、前アルバム『FOR YOUNG〜』での経験やAC/DC、キング・クリムゾン等のロックミュージックの存在を再認識したことから「ゼロ%から2000%ぐらいの振り切ったものを作んなきゃ」とハヤシ自身が感じていた時期であった[2]。その中で、『カジャカジャグー』を制作していた当時にスガイとハヤシの求める音楽性の違いが顕著となり、前述した通りスガイはPOLYSICSを脱退した。この様な状況の中、制作されたこれら二作品は、前作となるアルバム『FOR YOUNG〜』に比べ、「初期衝動の激しさを取り戻した」などと評される作品となり、さらにハヤシも手ごたえを感じられる作品となった。しかしながら、当時の結果としてこの二作品の売り上げは伸び悩み、さらにライブの集客も減少してきていた。

8月にはSUMMER SONICに出演した。同イベントには、POLYSICSに多大な影響を与えたDEVOも出演しており、ステージは違うものの初のPOLYSICS・DEVOの競演となった。

そして、日本国内では商業的にある種の伸び悩みを見せていたものの、国外では2003年にアメリカでリリースされたアルバム『NEU』が好セールスを記録した。これを受けてPOLYSICSは全米ツアーを敢行。この模様は2004年2月にDVD『PippikkippippiP In USA』としてリリースされている。

POLYSICS OR DIE!!!! (2004年-2005年)

2004年5月には初のベストアルバム『POLYSICS OR DIE!!!!』をリリースした。このベストアルバムでは過去の楽曲の再レコーディングが行われている。また、このアルバムはPOLYSICS初のヨーロッパリリースとして7月にイギリスでもリリースされた。

これらの流れと同時に過去の全アルバムの楽曲を演奏するライブツアー“7DAYS TO DIE!!!! 〜ALL OF POLYSICS!!!! 〜そして伝説へ...〜”“2DAYS TO DIE!!!〜ALL OF POLYSICS!!!! OSAKA編変則2DAYS!!!!”を5月、6月に東京、大阪で敢行。東京での7DAYSの最終日にヤノが新メンバーとして加入した。その後、バンド初のイギリスを中心とするヨーロッパライブツアーが行われた。また、帰国後の8月にはROCK IN JAPAN FESTIVALなど夏フェスへの出演、及び全国ツアーを敢行。そして、9月には、再び国外でのライブツアーとして、アメリカにおいてライブツアーを開催した。この年、POLYSICSは4カ国で94本のライブを行った。

これらの活動と同時期、同年7月にはカヨによるソロ活動として、アルバム『三つ編みヒロイン』がリリースされた。そのため、POLYSICSの活動とは別に、夏頃には幾つかのメディアへのカヨ一人での露出が多く行われていた。

翌年の2005年3月には、前年に日本及びイギリスでリリースされていたアルバム『POLYSICS OR DIE!!!!』がアメリカにおいてリリースされた。この発売を期に、同年9月から全米ツアーも敢行された。

Now is the time! (2005年-2006年)

2005年4 月にはシングル『Baby BIAS』をリリースした。この様なシングルCDによる楽曲の発表は2001年にリリースされた『NEW WAVE JACKET』以来、4年ぶりのことであった。また、4月から4か月後の8月にシングル『シーラカンス イズアンドロイド』をリリースした。この時期から、POLYSICSはシングルCDという形で楽曲を発表することが再び増えた。

さらに、10月にはアルバム『Now is the time!』のリリースを行った。その後、一週間程度のUKツアーを皮切りにライブツアー“POLYSICS WORLD TOUR OR DIE 2005!!!! 〜Now is the time!!!!!〜”を敢行した。国内では、帰国後11月20日の千葉LOOKを幕開けとして全国でライブを開催した。また、同年、スペインで開催されたPRIMAVELA SOUND FESTIVAにも出演している。2005年に、POLYSICSは6カ国で96本のライブを行った。

そして、2006年1月に、前年から敢行されていたライブツアーのツアーファイナルをLIQUIDROOMで開催した。また、同年2月にはアメリカにおいて、4月にはイギリスにおいて、前年日本で発表された『Now is the time!』をリリースした。これに伴い、3月にアメリカで、4月にはイギリスにおいてライブツアーを敢行した。このイギリスでのツアーでは、カイザー・チーフスのUKアリーナツアーにフロントアクトとして出演。この出演は、以前からPOLYSICSのことを気に入っていたカイザー・チーフスからの要望により実現した。その後、5月にはSHIBUYA-AXで凱旋公演ライブを終えた。

KARATE HOUSE (2006年-2007年)

2006年6月にシングル『Electric Surfin' Go Go』をリリースし、同年10月にはシングル『You-You-You』をリリースした。その後、2007年1月にはシングル『Catch On Everywhere』をリリースを行った。

そして、2007年2月に、アルバム『KARATE HOUSE』を発表。本アルバムには、先行してリリースされた3枚のシングルから4曲が収録された。また、本アルバムに向けた楽曲制作ではこれまでの制作活動との変化がみられた。これまではハヤシが中心となり、楽曲を生み出すスタイルが多かった。しかし、本アルバムに向けた楽曲制作活動ではメンバー全員でセッションをしながら曲を生み出していくということを行った。結果、KARATE HOUSEはハヤシが中心となって生み出した楽曲も幾つか含まれるものの、メンバー全員によるセッションの中で生み出された楽曲が主となるアルバムになる[3]。そのKARATE HOUSEリリースの直後、3月4日には結成10周年を迎え、SHIBUYA-AXで記念ライブを行う。

同年4月からは、バンド史上最長期間となるライブツアー“POLYSICS WORLD TOUR OR DIE 2007!!!!〜KARATE HOUSE!!!!”を敢行し、ツアーファイナルを6月2日に日比谷野外音楽堂で迎える。その後、6月からイギリス・フランスツアーを敢行した。その中で、6月にイギリスの大型フェスティバルO2 WIRELESS FESTIVAL 2007のメインステージに出演。夏には、複数のロックフェスティバル等のライブ・イベントに出演した。それらへの出演の際に、通常のツナギからマリンルックに衣装を変更した。

また、この年の6月にはSNSサイトMySpaceの傘下にあるMySpace Recordsと北米でのライセンス契約を結んだ。同契約は、同年の1月31日にロスアンゼルスのライヴ・ハウスで行なわれたPOLYSICSのライヴに訪れたMySpace社長のトム・アンダーソン(Tom Anderson)が、彼らに対し強い感銘を受けたことがきっかけとなっている。これを受けて、9月には国内でMySpace主催による“第3回 SECRET SHOWS JAPAN”への出演、10月にはPOLYSICSにとって2枚目となる海外でのベスト盤『POLYSICS OR DIE!!!! -VISTA-』の発売が行われた。このベスト盤の選曲は先述のトムが行った[4]。その後、10月からは、同レーベル主催の米国ツアー“MySpace Music Tour”にHellogoodbye、Say Anythingと共に、MySpace Records Artistの一員として参加した。このツアー中にはDEVOのメンバーであるジェラルド・V・キャセール(Gerald V Casale)、元メンバーのアラン・マイヤース(Alan Myers)がPOLYSICSのライブを観覧しにきた。

アルバム『KARATE HOUSE』の発表直後から、これらのライブ活動等と並行して、次のアルバムに向けた楽曲の制作活動を進めていた。

We ate the machine (2007年-2008年)

2007年11月にシングル『Rocket』をリリースした。表題曲は、同年夏に行われたライブイベントなどで披露されていた。また、同楽曲は同年10月から12月、1月にかけ、フジテレビ系列で放映されたアニメ版「もやしもん」のエンディングテーマとなっている。この年の12月末にはCOUNTDOWN JAPAN EAST/WESTに出演。この年の幕張で開催されたEASTへの出演は、最大規模のステージであるEARTH STAGEへの初出演となった。年明け後の2008年3月にシングル『Pretty Good』をリリース。

そして、同年4月にアルバム『We ate the machine』を日本においてリリースした。本アルバムには、先行してリリースされた2枚のシングルの表題曲が収録されている。このアルバムがリリースされる約一か月前の3月からライブツアー“POLYSICS WORLD TOUR OR DIE 2008!!!!〜ハミ出せ!!春のウキウキ・ジャパンツアー!!!!〜”を敢行。また、アルバムを発表した4月からはライブツアー“POLYSICS WORLD TOUR OR DIE 2008!!!!〜ハミ出ろ!!怒濤のワキワキ・ジャパンツアー!!!!〜”を敢行した。これらの一連のライブツアーは、6月29日にSTUDIO COASTにおいて開催された“POLYSICS WORLD TOUR OR DIE 2008!!!!〜ハミ出た!!キバキバ新木場・ジャパンツアーファイナル!!!!〜”をもってツアーファイナルを迎えた。このツアーファイナルの模様は10月29日にライブアルバム「We ate the show!!」としてリリースされた。

また、夏には複数のロックフェスティバルに参加。その中で8月のSUMMER SONICには、DEVOと共に出演を果たす。この競演は2003年の同イベント以来である。2003年の際には、二つのバンドは異なるステージでの出演であったが、この年は同ステージでの出演となった。また、この競演の数日後、SHIBUYA-AXにおいてDEVOとPOLYSICSによるツーマンライブが開催された。因みに、このツーマンライブはSUMMER SONICに関連した企画の一つである。

8月、9月にはアルバム『We ate the machine』を欧米各国においてリリースした。ただし、欧米向けにリリースされた本アルバムでは、日本向けの『We ate 〜』と異なり、収録楽曲のうち「Moog is Love」と「Pretty Good」は歌詞が英語となっている。9月には、ハヤシがタモリ倶楽部に出演。また、9月から11月にかけてヨーロッパ、アメリカにおいてライブツアーが敢行された。同年11月から12月にかけて、SPARTA LOCALSやサンボマスターなどといったバンドとの対バンツアー“ULTRA FIGHT OR DIE!!!!”を開催した。対バンツアー終了後の12月からは楽曲の製作活動に入った。

Absolute POLYSICS (2009年)

2009年3月に両A面シングル『Shout Aloud!/Beat Flash』をリリースした。このシングルのリリースに伴い、購入者限定ライブを渋谷CLUB QUATTROで4月に開催。また、6月には『Young OH! OH!』 をリリースした。 そして、これらのシングル曲を含むアルバム『Absolute POLYSICS』を9月に日本においてリリースした。発売前日の9月15日には、初の武道館ワンマン公演を行うことを発表した。

しかし12月、その武道館公演をもって、結成当時からのオリジナルメンバーであったカヨがバンドを『卒業』することが発表された[2]。2006年頃から「POLYSICSのメンバーでない、一人の女性としての自分に会ってみたい」という気持ちが日に日に募っていったという。また同時に、バンド自体も「充電期間」としてしばらくの間活動を休止することが合わせて発表された。


エピソード

ハヤシは学生時代にDEVOに出会い、それまでに持っていた不良や攻撃的といったロックのイメージが180度変わり、自分にもロックが出来ると感じたと語っている。

DEVOのスタジオへアポなしでDEVOに会いに行ったことがある。そのときにPOLYSICSのCDを渡したのだが、その曲がDEVOのスタジオの電話の保留音に使われていたことがあったらしい。

サポートドラムのイシマルはそのままPOLYSICS加入も考えていたようだが、結局正ドラムを募集することになった。その数人の候補の中にヤノがいたのだが、オーディションで5曲叩いただけでばててしまい、技術的、体力的にもPOLYSICSとして満足いくものではなかった。しかしハヤシは、ヤノの何にも染まっていない所に魅力を感じ、自分が育ててやるといった気持ちもありメンバーとして選んだ。そんな気持ちから、その後すぐ始まったヨーロッパツアーで責任感が湧いたとハヤシは語っている。ヤノもその期待に答え日々努力し続け、現在のPOLYSICSの基盤を成している。

アメリカツアー中にDEVOのアメリカファンクラブ会長が彼の家に招いてくれ、訪れたハヤシは彼のDEVOグッズコレクションの凄さに興奮し、死ぬかと思ったと語っている。

POLYSICSはKaiser ChiefsやThe Ordinary Boysなどのアーティストに影響を与えている。特にKaiser Chiefsはイギリスのテレビ番組の日本文化を紹介するコーナーでPOLYSICSが紹介されるのを見ていて、その影響から「Saturday Night」を制作した。またPOLYSICSとの親交も深く、来日公演でハヤシをサプライズゲストとして招いたり、POLYSICSを帯同してのUKツアーも行っている。

ハヤシは、前述のDEVOの使用していた細長いギターLaBaye2×4(2×4は材木を意味する)は、勝手にギターを加工し細長くしたものだと思っていて、それに憧れて自身もTelecasterを加工して似せたもの(ハヤシは鉛筆ギターやBigBoss1号と呼んでいる)を作製している。

「トイス」とは、ハヤシが友人と考案したオリジナルの挨拶で、英語で言うところの「Hi!」的意味合い。ドリフターズのいかりや長介風に力強く言うとキマる。当初は定着されるか疑問視されたが、最近のライブではコール&レスポンスもスムーズ。また、「Now is the time!」に「Toisu!」というタイトルの曲まで作っている。



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