JUSTIN NOZUKA
JUSTIN NOZUKA

 フジロック2009(土曜日)  Orange Court


ニューヨークにて、アメリカ人の母と、日本人の父の間に生まれたジャスティンは、すでに音楽の仕事に携わっていた兄弟の影響もあり、12歳で曲を書き始める。ローリン・ヒルとマーヴィン・ゲイに心酔し、徐々に才能を開花させてゆく。その後、あるソングライター・ワークショップにて、プロのアーティストに見いだされ、メジャー・レコード会社との契約を勧められるが、「自分のレコードは自分自身で、自分の意思で作りたい」と主張し、オファーを拒否。そして’08年4月、の全米にてのインディー・デビューに続き、ついにこの夏(7月末)、日本の地を踏んだ。通算3回目ながら、今回は最長、そして9月にリリースを控えたアーティストとして初のプロモーション来日。「僕の体には、日本の血が流れている。でもまだ、僕は日本を知らないんだ...」と語っていた通り、積極的に日本人とのコミュニケーションにつとめた。下北沢での日本人アーティストのイベントに飛び込み参加したり、“FUJI ROCK FESTIVAL ’08”に参加して、初めてプロ・アーティストとしての日本でのライヴも経験。19歳とは思えないその声とたたずまいに、観る者を唸らせた。そして、父の故郷でもある福岡(小郡市)もたずねてみるなど、“ソウル・サーチング・ツアー”と本人が語るとおり、自らのルーツを確かめた。

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THE INSPECTOR CLUZO
THE INSPECTOR CLUZO

 フジロック2009(土曜日)  Orange Court


フランス出身のファンク/ミクスチャー・ロック・バンド。ヴォーカル&ギターのローレントと、ドラムスのマシューの2人だけという変則的な編成。08年4月にデビューEPをリリース、親交の深いフィッシュボーンのヨーロッパ・ツアーに同行して注目を集める。同年10月、世界デビュー・アルバムとなる『ザ・インスペクター・クルーゾ』を発表。グルーヴ感あふれるファンク・ロックと、米西海岸のミクスチャー・サウンドを融合させたユニークなスタイルを披露し話題を呼んだ

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DJ TASAKA(でぃーじぇー たさか)
DJ TASAKA(でぃーじぇー たさか)

 フジロック2009(金曜日)  (オールナイトフジ)


DJ TASAKA(でぃーじぇー たさか)は、日本のミュージシャン、DJである。1974年生まれ、東京都出身。
中学生の頃からヒップホップに傾倒し、18歳の時にヒップホップのDJとしての活動を始める。その後、DJ FOODのようなオールジャンルミックスDJを経て、テクノDJと、音楽のジャンルを変遷していく。
1997年に、石野卓球の主催するクラブイベントLOOPAのレギュラーDJになる。その後石野卓球及び電気グルーヴとの関わりが増していき、2000年に発売された電気グルーヴのアルバムVOXXXやライブツアーへ参加する。
2001年に、自身の初アルバムで、DJ MIXを収録した『LOOPA MIX mixed by DJ TASAKA』を発売。同年にはドイツのテクノイベントMAYDAYに参加。2002年にはヒップホップユニットのアルファのアルバムに参加。またオリジナル曲を収録したアルバム『PASSPORT FOR DISCO』をリリースした。2003年に入り、KAGAMIとのユニットDisco Twinsを結成、『DISCO TWINS MEGA MIX MIXED BY DJ TASAKA★KAGAMI』をリリースした。
2005年にはアルバム『GO DJ』をリリース。本人の提案で、自分の曲だけでミックスを構築させ、それを某クラブでライヴし、それを録音することで全く新しいタイプのMIX CDに仕上げている。その他に、この年は上戸彩の「あふれそうな愛、抱いて」をREMIXしている。
2006年にはDISCO TWINSとして『TWINS DISCO』をリリース 。吉川晃司、セイジ(ギターウルフ)、宇多丸(RHYMESTER)が参加。話題となる。この年にはORANGE RANGEの「花」をAGERO名義でREMIXした(『Squeezed』に収録)。
WIREには電気グルーヴのサポートとして参加したWIRE00から、RISING SUN ROCK FESTIVALには2001年から参加を続けている。
プレイスタイルはエレクトロからディスコといったアッパーハウス系テクノが中心であるが、基礎として培った巧みなスクラッチと間髪逃さずエフェクトを使用することで独自のプレイスタイルを築いている。
また、クラブでのプレイ用に本人がREMIXを施したトラックを使用することがあり、突拍子もない選曲でフロアのテンションを最大級に上げることがある。それも、彼の真骨頂である。

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YOJI (ex. YOJI-BIOMEHANIKA )
YOJI (ex. YOJI-BIOMEHANIKA )

 フジロック2009(金曜日)  (オールナイトフジ)


「Hellhouse Recordings」主宰。圧倒的な存在感で世界からの羨望を浴び続ける、ダンスシーンが生んだ究極のマスターピース。その活動の遍歴は、常にパイオニア精神に満ちたものであった。近年自身が提唱した新ジャンル「テックダンス」しかり、「DJ」が持つ予定調和を完全に打ち破った華やかなステージパフォーマンスしかり- 15年以上のキャリアを経てもなお、その輝きは眩いばかりの閃光を放ち続けている。この08年夏も例年同様にワールドワイドなDJツアーが組まれており、未知の領域となっていた東欧諸国を中心に、USA、カナダ、アジア、オーストラリアでのギグ等を毎週末に渡って消化中である。また、最新シングルとなる "Don't Wake Me From The Dream"を近日中にリリースした後、今年秋には英国のトップブランド「Ministry Of Sound」から3枚組のMix CD"Tech Dance Euphoria"を発表する予定にもなっている。

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ケン・イシイ(Ken Ishii)
ケン・イシイ(Ken Ishii)

 フジロック2009(金曜日)  (オールナイトフジ)


ケン・イシイ(Ken Ishii)は、日本のテクノミュージシャン、DJ。「東洋のテクノ・ゴッド」などと呼ばれる。1970年札幌生まれ、東京に育つ。筑波大学附属駒場中学校・高等学校卒業、一橋大学社会学部卒業。その後電通に勤務する。 ニックネームはけんちゃん、ケニー
1993年、学生時代に制作したデモテープがベルギーのテクノレーベルR&Sレコーズから採用される。プリセットがバグ状態になってしまったKORG M1(オールインワンシンセ)を駆使し、デトロイトテクノの影響下にありつつも独創的な楽曲を製作。 その後リリースされた 1st『Garden On The Palm』 は、イギリスの音楽誌「NME」のテクノチャートでNo.1を獲得。当時、日本では全く無名の存在だった為、当初は英国在住の日系人ではないか等、様々な噂や憶測が飛び交った。その後『電気グルーヴのオールナイトニッポン』等、いくつかの日本のメディアでも逆輸入のかたちで紹介されることとなる。1990年代以降、日本人のテクノミュージシャンで海外で本格的に評価された最初の人物であり、その道を切り開いた功績は大きい。続く2nd『Jelly Tones』は、その音の美しさ、繊細さと独特なビートで世界を席巻、瞬く間に頂点に駆け上った。このアルバムでは従来のリスニング路線に加え、ダンスビートをより意識した作風へと徐々に変化を遂げた。現在では、ケン・イシイ名義および別名義「FLR」での活動は日本のサブライムレコーズからのリリースが中心となっている。また、楽曲制作と並行してDJとしての活動も精力的に行っており、2004年の「Ibiza DJ Award」では、Best Techno DJを受賞した。毎年恒例のREEL UPというイベントをサブライムレコーズのDJ YAMAと主催している。
実はプロレス通で、インディーズ団体などにも詳しい。
R&Sでデビューする以前に、当時アルファレコードのA&Rで後にソニーテクノを立ち上げる弘石雅和へデモテープを渡している。しかしリリースには至らなかった。

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浅野 忠信(あさの ただのぶ)
浅野 忠信(あさの ただのぶ

 フジロック2009(金曜日)  (オールナイトフジ)


浅野 忠信(あさの ただのぶ、本名:佐藤 忠信、1973年11月27日 - )は、日本の俳優。
神奈川県横浜市南区出身。神奈川県立磯子高等学校出身。血液型A型。
母方の祖父はネイティブ・アメリカン(ナバホ系インディアン)の血統、祖母は元芸者で社交ダンスのチャンピオンであった。2人は日本で見合い結婚し、1950年に浅野の母が生まれた。その後祖父は家族を残し帰国。母は18歳で結婚、1971年に長男の久順(現・KUJUN。俳優・アーティスト)が、1973年に二男の忠信(以下、浅野と表記)が誕生した。[1]
公園でビキニ姿で日光浴するような奔放さを持つ母と、整理整頓が得意で几帳面な父のもと横浜で育った。浅野は「ヒッピーの子供で生まれた」としている[2]。20代前半で子を得た両親はまだ若く奔放であった。夜に浅野兄弟を家に残して両親がディスコに行ってしまうことも珍しくなく、近所の家に2人が「お母さんがいない」と泣きついたこともあったという。一方で両親は「親が白と言ったら白なんだ」という厳しさも持ち合わせていた。大黒柱である父親が最初に食事をし、子どもは残ったものを食べるというように、甘やかされることなく浅野は育てられた。[1]
母曰く、いつもにこにこと笑いながら歩いている子供だったという[1]。また、浅野自身は「子供の頃から目立ちたがり屋で、いつもテレビに出たいと思っていた」と語っている[3]。そう思うきっかけになったのは、母が浅野に見せたウッドストック・フェスティバルの映像だった。ステージ上のミュージシャンが観客を熱狂させているのを見て、人前で大勢の人を喜ばせるようなことをしたいと考えるようになったという。また、幼い頃はクォーターのため髪が金髪に近く、何もしていなくても目立っていて声をかけられることも多かったことから、自分から無理に目立つことをしなくてもいいと思うようになり、それが今日の自身の穏やかな印象に影響していると浅野は考えている。[4]
小学生の頃から実家の隣の空手道場に兄と通った[5]。また、ブレイクダンスやスケートボードも始めた[2]。中学からは音楽を始め、パンクロックバンドを組み元町や本牧のライブハウスを渡り歩いた[5]。ちなみにこの頃ファンだったのはおニャン子クラブの吉沢秋絵で、フジテレビ前で出待ちをしたこともあったという[6]。
1988年、タレントのマネージャーをしていた父親に勧められ、テレビドラマ『3年B組金八先生III』(TBS系)のオーディションを受けたところ合格となりデビュー[3]。当初はテレビにも出演していたが、撮って放映してを繰り返すテレビの機械的なサイクルが肌に合わず、マネージャーとけんかになることも多かったことから俳優を辞めたいと思う時期もあったという。[4]
1990年、『バタアシ金魚』で脇役として映画デビュー。大人同士が徹夜やけんかを繰り返しながら、目標に向かって一生懸命取り組む映画制作のスタイルが信用できることに思えたという[4]。以降、「映画でだけなら仕事をしてもいい」と思うようになった[7]浅野は岩井俊二、是枝裕和、青山真治など新鋭監督の作品に出演し、知名度を高めていくこととなる。
1995年3月、岩井監督の映画『PiCNiC』で共演した歌手のCHARAと結婚。同年7月に長女が誕生し、22歳で父となる。
1996年、『Helpless』で映画初主演。
活動の場は国内にとどまらず、ウォン・カーウァイ監督『wkw/tk/1996@7'55"hk.net』(1996年)、クリストファー・ドイル監督『孔雀』(1999年)等でも主演を務め、国際的にも注目を高めていった。1997年、日本アカデミー賞話題賞、ヨコハマ映画祭主演男優賞受賞。
1999年、長男が誕生。
2001年、『地雷を踏んだらサヨウナラ』で毎日映画コンクール男優主演賞受賞。
2003年、タイ・日本その他合作映画『地球で最後のふたり』(ペンエーグ・ラッタナルアーン監督)でヴェネチア国際映画祭コントロコレンテ部門主演男優賞受賞。
2004年、初監督作品『トーリ』を制作。ドキュメンタリーやアニメーションが織り込まれた5話のオムニバス作品。高校生の頃に観たボブ・マーリーのドキュメンタリー映画『Time Will Tell』で、マーリーの葬儀の時に鳥が飛んでいくシーンから受けた影響が制作の元になっているという[8]。昭和のいる・こいるや、無名の頃の菊地凛子(当時は菊池百合子)、首藤康之などが出演。首藤は本作品で初めて自身で振り付けしたバレエを披露した。また、兄のKUJUNも音楽の担当として参加。3月にDVDで発表し、5月に渋谷シネ・ラセット(2008年1月閉館)で公開された。
2007年、ロシアのセルゲイ・ボドロフ監督作品『モンゴル』で、チンギス・ハーン役で主演した。ボドロフは浅野に「内面から発する光のようなもの」を感じ[9]、「この役を演じられるのは浅野しかいない」と浅野を抜擢。浅野はCDをひたすら聞いてモンゴル語を覚え、尻の皮がむけるほど乗馬を猛練習し撮影に臨んだ[7][10]。
2008年2月、『モンゴル』が第80回アカデミー賞外国語作品部門にノミネートされ、浅野は妻のCHARAを伴ってロサンゼルスで記者会見を行った。この時浅野は、撮影で留守にしている間にCHARAが家庭内のことを忙しい中やってくれていてありがたい、と感謝を述べた。また、普段は酒を飲まないのに馬乳酒などを飲まされていたことや、食事の際に歌を歌う文化のため、アカペラでTHE BLUE HEARTSなどの曲を歌ったことなど、モンゴルでの撮影中の裏話がCHARAとの会話の中で明かされた。[10]
2009年7月25日、所属事務所のサイトにて妻のCHARAと協議離婚したことを発表[11]、14年余りの結婚生活にピリオドを打った。同年、『ヴィヨンの妻 〜桜桃とタンポポ〜』他で日本アカデミー賞優秀主演男優賞受賞が決定し、翌年3月に発表される最優秀主演男優賞の候補となっている。
俳優業の他に、「ASANO TADANOBU」名義や、「Bunodata」名義[12]、 「PEACE PILL」[13]、「SAFARI」(1999年結成[14])などでボーカルやギターとして音楽活動も行っている。「SAFARI」ではフジ・ロック・フェスティバルに何度か出演している[15][16]。所属事務所は有限会社アノレ(1996年設立)で、浅野の父親が代表を務めている

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テイ・トウワ(TOWA TEI)
テイ・トウワ(TOWA TEI)

 フジロック2009(金曜日)  (オールナイトフジ)


テイ・トウワ(TOWA TEI)は日本のDJ、音楽プロデューサー、アーティストである。"Sweet Robots Against The Machine"名義での活動もある。
16歳頃よりデモテープ作りを始め(初めて購入したシンセサイザーはコルグのMS-10である)、武蔵野美術短期大学在学時から坂本龍一のFMラジオ番組『サウンドストリート』でデモテープが発表された。坂本は後に、「テクニックはないけれどもセンスが異常に良くて他を圧倒していた」と当時を振り返って述べている。
1987年、グラフィックデザインを学ぶため渡米。1990年、米国のハウスバンド、ディー・ライト(Deee-Lite)のメンバーとして米エレクトラ・レコードよりデビュー(当時の名称はJungle DJ Towa-Towa)。「グルーヴ・イズ・イン・ザ・ハート」(Groove Is In The Heart)はイギリス/オーストラリアで1位、米ビルボードポップチャート4位を獲得した。
1994年より活動の拠点を日本に移し、1stアルバム『FUTURE LISTENING!』でソロデビュー。
1995年、なぜか中京テレビの深夜番組「キス・ミス・チック」の中で町で捕まえた女性のファッション・コーディネイトをしてあげるというコーナーにレギュラーVTR出演
2005年、4thアルバム『FLASH』、リミックスアルバム『FLASHER』、ヴィジュアル・ブック『LOOK』をリリース。ヒットコンピシリーズ『MOTIVATION』監修。
2007年、DJとして20周年を迎え"TOWA TEI DJ 20th. ANNIVERSARY TOUR"を開催した。また音楽プロダクション"hug inc."をColumbia Music Entertainmentとレーベル"hug Columbia"をそれぞれ立ち上げ、その第1弾として1stアルバム『Future Listening!』の新規リミックスや未発表音源を含むリマスター盤を2枚組にて4月18日に人気コンピレーションシリーズの第5弾『MOTIVATION FIVE compiled by DJ TOWA TEI』を6月20日にリリースした。この他2007年の活動としては、TVシリーズ『24 -TWENTY FOUR-』メインテーマのリミックスを担当した。4月25日発売の『細野晴臣トリビュート』に "テイ・トウワ+ナチュラルカラミティー" として「ハニー・ムーン」で参加。6月2日に公開された松本人志監督『大日本人』の映画音楽プロデュースを手掛けた。また細野晴臣が音楽監修を担当する10月公開の映画『EX MACHINA - エクスマキナ - 』にオリジナル楽曲「EX Boy」を提供した。
2008年、docomoのamadanaシリーズの携帯機種、FOMA「N705i」のサウンドプロデュースを手がけた。プリインストールされた楽曲「N705i」はiTunesでも販売、数週にわたりエレクトロニカチャートで1位、またiTunes 2008年エレクトリック部門トップセラー第5位を記録。同楽曲に、太田莉菜をフィーチャリングした「A.O.R. feat. Lina Ohta」はBeatportチルアウト配信・ワールドチャート1位を記録。ケーブルテレビ局で視聴できるチャンネル「チャンネル銀河」のテーマ曲をプロデュース、提供した。
2009年、4年ぶりのオリジナルアルバム『BIG FUN』、初の単行本『BOOK FUN』、国内アイウェアブランドLess Than Humanとのコラボ・サングラスをリリース。TERIYAKI BOYZのアルバム『SERIOUS JAPANESE』に楽曲「AFTER 5 (A.M.)」を提供した。
プロデューサーとしては、ダウンタウンの『Geisha Girls』(坂本龍一との共同プロデュース)[1]や今田耕司の『KOJI-1200』、『KOJI-12000』などを手がけ、またDTMシンガーソングライターのAYUSE KOZUEのクリエイティヴ・ディレクターとしても活動している。

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NEWDEAL × 環ROY
NEWDEAL × 環ROY

 フジロック2009(金曜日)  (オールナイトフジ)


NEWDEAL(ニューディール)は日本のダンス・テクノミュージシャン、DJ、リミキサーである。以前はHitoshi Ohishi(ヒトシ・オオイシ)名義で音楽活動をしていた。
2000年にUKのテクノレーベルからデビューしその後3枚のオリジナルアルバムを発表する。オリジナル作品以外にもWIREコンピレーションアルバムやWALKMAN25周年を記念したトリビュートアルバム、TVアニメ番組「交響詩編エウレカセブン」へ楽曲を提供など多岐にわたる。またリミキサーとしても活動していてSBK(スケボーキング)、Layo&Bushwacka、ORANGE RANGE、浜崎あゆみなどのアーティストへのリミックスを提供している。 2005年にエレクトロニカバンドthe samosに参加する。 2006年、これまでの名義や製作活動をNEWDEALに変えアルバム『fudge』をリリース。 2008年、NEWDEAL名義としては2枚目のアルバム『GRIMY』をリリースする。今作品は難波章浩(HI-STANDARD, ULTRA BRAIN)、SHIGEO(SBK, THE SAMOS)、環ROY、ブライアン・バートンルイスなどと豪華ゲスト陣を迎えたアルバムとなっている。 2009年、前作『GRIMY』で競演したラッパーの環ROYとのコラボレーションアルバム『the klash』を環ROY×NEWDEAL名義でリリースする。

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システム7(System 7)
システム7(System 7)

 フジロック2009(金曜日)  Orange Court


システム7(System 7)はイギリスのテクノ、あるいはトランス、アンビエントなどの要素を内包するユニット(もしくはバンド)。アメリカでは同名のMac OSと名前が被るので使用できず、現地のレーベルから発売された1st、および3rdアルバムは777と名乗っている(2ndアルバムと非常に紛らわしい)。

履歴
スティーブ・ヒレッジとその妻であるミケット・ジラウディー(両名とも元ゴングのメンバー)によって結成されたバンドである。バンド結成のきっかけは、The Orbらアンビエントのミュージシャンが、ヒレッジが1979年にリリースした「Rainbow Dome Musick」をDJプレイで利用していたことを知ったことによる。ユニット名の由来は、1977年にリリースされたヒレッジのアルバム「Motivation Radio」の型番"V2777"からだといわれている。
システム7は様々なアーチストとのコラボレーションを実施している。特にデトロイト・テクノの代表的存在であるデリック・メイとはバンド結成初期から深い交流を持ち、1990年代以降は新曲を一切発表していないデリックに、共同とはいえ1990年代後半まで作曲活動を行わせたことは特筆すべきである。デリックとの作品は2002年に「Mysterious Traveller」として1枚のCDにまとめられた。他にもカール・クレイグやローラン・ガルニエなど、テクノのアイコン的存在のアーティストとは1990年代中期に多くのコラボレーションを行った。その中でアレックス・パターソン(The Orbメンバー)は、バンド結成初期からシステム7に関わり続ける唯一の人物である。また、かつてのゴングのリーダーであったデヴィッド・アレンも一部の作品に参加している。
リミックスも多数存在し、それらを集めた1996年のアルバム「System Express」がある。これに収録されているAlpha WaveのPlastikman名義でのリミックスは、リミックスでありながら本人達が大いに気に入り、オリジナルを差し置いてライブで必ず演奏される定番曲となった。2007年のシングル「Hinotori」には、元々約10分の曲であったものを20分に拡大したバージョンが収録されている。
 
音楽性の流動
その音楽性は時期によって大きく変化している。結成直後の作品は、多数のアーティストたちとのコラボレーション、という意味も含めて同時期のシェイメンに近かった。しかし1994年、テクノの躍動感を強調したFireと、静謐なアンビエントWaterの2枚にミックスを分けたアルバム「Point 3」を発表し、当時盛り上がりがピークを迎えていたテクノ・シーンへと急速に接近。1995年の「Power of Seven」では、ノイ!や、E2-E4のリミックスであるSueño Latinoeno Latinoをサンプリングし使用している。このアルバムは名門レーベルであるR&Sにもライセンスされた。1997年のアルバム「Golden Section」ではドラムンベースを試み、また、1976年のヒレッジのアルバム「L」からのサンプリングも行われた。
2000年に自らのレーベルであるA-Waveを立ち上げ、以後作品はこのレーベルから発表されるようになる。2001年に発表された「Seventh Wave」では激しく美しいトランス・テクノを基に、それまでの要素が散りばめられた集大成的なアルバムである。2004年の「Encantado」ではよりサイケデリック的な色を強め、2007年現在の路線もこの延長線上にある。
システム7にはそぐわないアンビエント、チル・アウト、ダウンテンポ的な音楽は2005年に始動したMirror System名義に分離した。他にもGroovy Intent名義での作品も存在する。
2007年には手塚治虫の漫画『火の鳥』に触発され、先行シングル「Hinotori」を、続いてアルバム『Phoenix』を発表

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ゴング(Gong)
ゴング(Gong)

 フジロック2009(金曜日)  Orange Court


ゴング(Gong)は、1967年にオーストラリア生まれのデヴィッド・アレンを中心にフランスで結成されたプログレッシブ/サイケデリック・ロック・バンド。英米ではスペース・ロックというジャンルで括られることが多い。
アラン・ホールズワース、ティム・ブレイク、スティーヴ・ヒレッジ、ディディエール・マラーブなどが在籍したバンドとしても知られる。
メンバーの出入りが激しく、リーダーのアレン自身が1975年に脱退した。残されたメンバーはピエール・ムーランを中心にバンドを再編成し、ピエール・ムーランズ・ゴングと名乗り1990年代まで活動した。アレンは脱退後プラネット・ゴング、ニューヨーク・ゴングを結成。ジリ・スマイスはマザー・ゴングを結成。ほかにもゴング名を冠するバンドがいくつも存在し、ゴング・グローバル・ファミリーと総称されている。
ソフト・マシーンのメンバーとして活動していたアレンが、ツアー先のフランスからイギリスに再入国できず(麻薬所持のためといわれる)、フランスで新たに立ち上げたプロジェクトである。パートナーとなったジリ・スマイス[1]とは、ソフト・マシーンとして行ったポエトリー・パフォーマンスで出会った。
1968年、フランス五月革命において、アレンとスマイスは学生側に加担するパフォーマンスを行った。このことにより公安警察に追われる身となり、スペインのマヨルカ島デヤに潜伏。ここで以後のゴングの原形が形作られる。
1969年にフランスBYG・レーベルからファースト・アルバム『マジック・ブラザー』を発表。1971年、アレンのソロアルバム『バナナ・ムーン』発表をはさみ、2nd『カマンベール・エレクトリック』を発表。このアルバムからエンジニア兼エレクトロニクス奏者のヴヌー・ドゥ・ルクスが参加し、サウンド面での飛躍的な進歩をみせている。
1972年、グラストンベリー・フェスティバルに出演。その年のイギリスツアーの後、ヴァージン・レコードと契約する。
1973年から1974年にかけてラジオ・グノーム三部作『フライング・ティーポット』『エンジェルズ・エッグ』『ユー』を発表。ラジオ・グノームとは、ゴング惑星からフライング・ティーポットに乗ってやってきた宇宙人であり、テレパシーによって交信しあい、受信できる能力をもつ地球人に向けて海賊ラジオ放送を行っているという設定をもとにした連作である。
2009年、往年のメンバーが再集結し、シリーズ最新作『2032』を発表した

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